小林よしのりさんの、『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』を読みました。
感想は、例によって、追記をお待ちください。
追記・感想
時事問題・歴史問題等の新事実を調べて知った上で、ご自身の見解を述べられる。ご自
身の私的な見解なので、傲慢な意見として述べる。だから、ゴーマニズム宣言というタイ
トルがついている。
「ごーまんかましてよかですか」と、ご出身の九州の方言で決め台詞を決められる。この
決め台詞のあとに、ご自身の見解がつづくのである。
今回、戦争のことについて、詳しく調べられている。というより、漫画制作中に、調べ
るという行為が併行して行われている。その様子をご自身を漫画に登場させる描き方で、
ストーリーとして追っていく形をとられている。
文字数がかなり多い。本編の文字だけで一冊の本になってしまうくらいである。漫画の
場合は、登場人物の語った台詞の吹き出しが主だが、この『ゴーマニズム宣言』という作
品では、地の文も含め、文章としても充分に読める。
一番取り上げられるテーマは、第二次世界大戦中に日本兵は酷いことをしたと思いこん
で、日本人が自虐史観を持つべきではない、ということ。
もう現代では化学兵器や核爆弾の開発によって、世界大戦は行おうと思っても出来なく
なっているが、戦争は必要であるとする考え方にまで到達されているようである。この点
は、私も同じ意見である。
・平和の反対は、「混乱」という状態。「戦争」という手段の反対は、「話し合い」という
手段。
・無意識に「人権」などの価値観に引きずられ反権力・反国家・市民主義になる者を「サ
ヨク」とカタカナで書かれることによって、マルクス主義の影響のある「左翼」と区別し
ておられる。「人権」「自由」「個人」「反戦平和」などの価値を掲げれば、「残存左翼」「う
す甘いサヨク市民グループ」から「戦後民主主義者」まで大同団結できてしまう。【本文
引用】
・大東亜戦争に参戦するのを防ぐ判断ができた、と、後の時代の人が言っても無責任は発
言にしかならない。「日韓併合」「盧溝橋事件」「通州事件」「オレンジ計画」「排日移民法」
「ABCD包囲網」「石油禁輸」「ハルノート」と、開戦に踏み切るしかない諸外国からの
圧迫を受けていたのである。
・戦勝国が敗戦国を裁くとき、敗戦国の犯罪がでっち上げられている。南京虐殺も然り。
・東京裁判では、唯一、インドのラダ・ビノード・パール判事が、「ハルノートのような
ものをつきつけられたら、モナコやルクセンブルクでも戈をとってアメリカに立ち向かう
だろう」と言い、被告人全員の無罪判決を出したということも、意義が大きいし、我々も
記憶しておかねばならない。
今、この日本では、個と公が分離している。私も思うのだが、最低限、公共道徳は必要
ではないだろうか。バックボーンのない「個」だけになると、人間から公共性すらも薄れ
る。
・「個人」が大切だが、「個人」とは、責任をすべて個人で引き受ける主体性を持ってい
る個人でなければならない。
・「個人」とは、社会のヨコ軸と歴史のタテ軸の交差する一点に位置するものである。【本
文引用】
・単に、命を大切にしようというヒューマニズムはおかしいと仰有る。戦争で死んでいっ
た先人たちは、祖国のため、郷土のため、家族のため、天皇のために死んでいったのだと。
そのお陰で、現在の我々があるのだ、と。こういう意識をそれぞれのなかに確立しよう、
と。
・誰かのために死ねる、という価値観が大事である。
・「個」は「公」という制約の中で育まれる。【本文引用】
日本に個人主義を導入しても、そのバックボーンとなる一神教の倫理がないので無責任
な個人を作り出してしまった。日本には、共同体意識は強いが、その共同体のつき合いも
希薄化した。
・戦争は、承認された暴力。本来的には略奪も強姦も虐殺もあらゆる暴力が承認された状
態。国民がコツコツ築き上げた蓄財を、一気に消費する。そこに快感を見出す、人間の本
性というのもありそうではないか。【本文引用】この考えには首肯する。世界的に景気が
冷え切ってきたときに必要悪として戦争は起こる、とも言えるからだ。
支那(中国)と日本兵の戦いの折に出くわした、「便衣兵」なるゲリラについて書かれ
ている。「督戦隊」という、味方の兵士が後退しようとするところを射殺する中国の兵士
についても書かれている。中国人は、同胞への略奪・暴行・殺傷もしている。そういう地
獄絵図のような戦地で戦う中国との戦争は苛烈だったようである。
南京虐殺にしても、20万人しか居なかった地域で30万人が死んだこととされている
し、「便衣兵」が襲ってきたことも充分考えられるので、規模も大きくなく、日本兵だけ
が悪いわけではない。20万人を殺害するのも、その当時上陸していた日本兵の数では出
来ないことである。
新聞に、日本兵の仕業として写真が取り上げられることが多いが、その多くが捏造写真
である。
・戦後5年経った1950年に、スターリンの提案によりシベリアから撫順へ969名の
日本人捕虜が移送された。その中国で、日本人捕虜は厚遇を受け、洗脳を受ける。彼らが
日本へ帰ってきて、自らを罪ある人間だとする喧伝をやってきたのだ。
同じ戦争体験者でも、厳しい局面に立つことが少なく、或いは敵をやっつけるという目
的意識がはっきりしていて、戦争体験を辛いものだったとは思わない人たちも居る。
無料で国に海外旅行に連れていってもらったようだった、と語る人も居る。血湧き肉躍
る、痛快な一面もあるのが戦争なのだ。とくに勝っているときは。戦争に生き甲斐を感じ
た人も居る。そういう人たちの体験談が、戦後の教育と風潮のなかで語られなかった。
本編のなかで、心に突き刺さった言葉がある。
「生きながらえることだけが人生の目的ではない」と思っている人はかならずいるはず
だ。「命は手段にすぎない」「この命を使って、何を成すかだ」。【本文引用】である。
まったく、この通りだと思った。
旨い物を食べて、ぬくぬくと自分と自分の家族のためだけに長生きする人生。それもよ
いだろうが、折角生まれてきたからには、生きている間に功績を残す。或いは社会のため
になることをやるべきである。
前後して出てくる小林氏の価値観では、公のた
めに死ぬことこそが美しい。ということ。
または、家族を護るために自分が犠牲になる覚悟が必要、ということ。死ぬために生きる
ことである。現代は、自分のためだけに生きてよい時代なのに、その生きることにすら意
義を見いだせなくなっている人も居る、と。
国民は軍部にだまされていた、とする考え方をGHQは刷り込んだ。
その考え方を支持する風潮の現代だが、軍部を信じたという行為・選択をした自分に責
任はなかったのか、と小林氏は問う。同じことが、カルト宗教でもある。教祖にだまされ
ていたと言っても、最初の信じる行動をとった自分には責任はなかったのか、ということ
だ。
麻原彰晃氏に対しても、いざ裁かれる立場になると、詐病をつかって黙秘するその姿勢
に、小林氏は立腹しておられる。「日本人は汚れてきていた。社会を浄化する意味でも大
量に人間がポアされる必要があったのだ」と、自分の主義・主張を貫いて弁明して欲しい、
と。
原子爆弾は、ロシアを牽制する意味で、効力の実験として広島・長崎に落とすというこ
とが決められていた。ポツダム宣言で、天皇制条項をあいまいにしたのは、原爆投下以前
に日本が降伏してはまずかったからだ。【一部本文引用】と本文にある。
欧米では、捕虜の皮膚を剥いで、その皮膚で電灯の笠をつくったりというようなことも
ある。戦場での非道は、日本人だけの行為ではないのだ。
公共心を働かせよう。しかも、その公共心は、国によって違うのだ、と。その違いを認
め合おう。
・「個」は、制限と束縛のなかで完成される。
と、ここまで本編を追って紹介してきた。
終戦後、GHQの指導の下に教科書は塗り替えられ、修身などの道徳の授業がなくなっ
た。
戦争に負けたのに、自分たちは奴隷にならなくてもよい、とアメリカは言ってくれる。
自分たちは、軍部にだまされていたのだ、と。
自分の身が可愛いから、それまでの考え方を簡単に棄ててアメリカの個人主義、民主主
義を受け入れる。
ところが、一神教を持たない日本人には、責任を全うしない「個」が出来てしまっただ
けなのだ。
コミュニティーの復活ということも大事だろう、とは思う。
しかし、信仰心とは別にでも公共心を育てることが大事だと私は思う。
筋金入りの倫理・道徳を持つ必要がある。それは無論、哲学からでもアプローチできる。
自分のために生きるのではなく、他者のために生きる。これこそが人間らしさ、と言え
ると思う。事業でも発明でも、他者のためを思うから進歩するのである。そして、そうい
う動きが、住みよい未来を作る。
・その他の歴史関連本の感想→ 『知らないようでやっぱり知らない日本のしくみ』
『キリスト教と戦争(「愛と平和」を説きつつ戦う論理)』 『くもんのまんが古典文学館古事記』
『一冊でつかむ日本史』 『平家物語(くもんのまんが古典文学館)』
コメント
>ビター・スイートさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)