石川明人(いしかわ・あきと)『キリスト教と戦争(「愛と平和」を説きつつ戦う論理)』読了(追記あり)

 石川明人(いしかわ・あきと)さんの、『キリスト教と戦争(「愛と平和」を説きつつ戦う論理)』を読みました。
キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理 (中公新書)

キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理 (中公新書)

  • 作者: 石川明人
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2019/11/08
  • メディア: Kindle版

 

 

 例によって、感想は、追記をお待ちください。
 追記・感想
 キリスト教徒は、『右の頬を打たれたら、左の頬を向けよ』と教えられている。おおよ
そ暴力や戦闘はしない、というのが建前だろう。
 しかし、個人的に戦争には参加しないと決めていても、国から招集がかかれば参加せざ
るを得ない。
 聖戦と捉えてする戦争もあるだろう。しかし、同じキリスト教徒同士で戦った歴史もあ
る。
 アーミッシュが殺人犯を許した。それは、許すこと自体が正しいのか、という問いも投
げかける。
 ローマ・カトリック教会の説く「正当防衛」。
 『時代とともに変容する戦争』
引用→クラウゼビッツによれば、「攻撃」側が目的とするのは、相手の領土や物品の略取
であって、闘争そのものではない。戦わずにそれらを獲得できるなら、それにこしたこと
はない。(中略)それに対して、「防御」側の目的は、純粋に相手を撃退すること、つま
り戦闘に他ならないので、結局「戦争」概念は防御とともに発生し、「戦争に対する心構
えは、侵略者の側よりもむしろ防御者の側にある」というのである。(中略)現に正当防
衛を認める以上、結局それは戦争を肯定することにもなりかねない。
 武装するプロテスタントたち
 ニーバーの祈り、は必読です。
 聖書における「戦争」と「平和」
 旧約聖書における戦争と虐殺
引用→ 著者も、書かれた時代も、背景も、目的も、それぞれ異なる実に様々な文書の寄
せ集めによって一冊になっているものであるため、自分の主張したいことを正当化できる
一文を抜き出してきて、聖書の権威によって自説を補強することが簡単にできてしまう点
である。聖書は、戦争を否定するときにも使えるが、戦争を正当化するときにも利用でき
る。
 一神教の神の役割
 「箴言」には、「敵を滅ぼしてください」などの、敵の不幸を願う祈りが多々出てくる。
引用→ 自分自身は武力行使をしないが、神による痛烈な裁きを願うという姿勢が純粋に
「平和主義」といえるのかどうかについては議論の余地もあるのかもしれない。聖書で「平
和」が祈り求められる際、その具体的な内容や条件は何なのかも慎重に検討されねばなら
ないだろう。(中略)広い意味を持つ「シャローム」は、必ずしも「戦争」や「暴力」を
排除するものではない。戦いに勝利することも「平和」に含まれるからである。同じ神が、
一方では戦いを命じ、他方では平和を説いているのは奇妙に見えるかもしれないが、多神
教と違って一神教の神は、他の神と役割分担ができず、一人で何でもしなくてはならない。
 新約聖書における非暴力主義
 イエスの教えは、神の国の平和とこの世の平和とを一体にさせるものとして理解される
ようになった。しかし、それにもかかわらず、新約聖書には不思議なことに、軍事的比喩
が多く用いられている。神は、「万軍の主」、霊は「剣」、信仰は「盾」と表現される。愛
と平和を祈り、非暴力を訴えるところの「信仰」は、逆説的にも「戦い」「戦闘」のイメ
ージで語られているのである。
 善いサマリア人と正当防衛
 誰かを守るために、あるいは善や正義のために暴力を行使することは、許されるのでは
ないか、むしろ義務でさえあるのではないか……、いや、イエスは「頬を打つ者には、も
う一方の頬を向けなさい」と言ったのだから、どんな場合にも暴力だけはいけないのだ、
などさまざまな意見がある。だが、新約聖書には、どこにもその「答え」は書かれていな
い。
 ローマ軍の宗教とキリスト教徒
 軍隊生活が一つの宗教のようなものであったので、キリスト教徒が兵役を拒否した場合
が多い。
 教父オリゲネスの解釈
 最も重要なギリシャ教父として、オリゲネスという人物がいる。新約聖書における非暴
力主義の考えに従おうとする姿勢だった。殺人や流血を肯定することもない。正義の側が
勝つようにキリストに祈るということをした。
 本文の引用を含めて感想を述べてきたが、ここらでまとめることにする。
 戦争に参加するのを拒む場合、人を殺すことをするからという理由より、その国の偶像
崇拝を受け入れなくてはならなくなるから、ということが多い。
 米軍には、チャプレンという戦争のときに聖職者として兵士の心の健康に貢献する兵士
がいるそうだ。
 終章の『愛と宗教戦争』、これが読んでいて一番すっきりする。石川明人氏の言葉で、
「こうこうではあるが、こうこうである」という一端の考え方の結論が書かれている。
 結局、当初の問いに対する明確な答えは出てこない。
 印象的だったのは、「戦争をしないでおこうとする行為も、戦争を起こそうとする行為
も、それは、後の平和を願ってのこと」ということだった。
 一読の価値がある本です。
・その他の歴史関連本の感想→  『知らないようでやっぱり知らない日本のしくみ』
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