いじめられたから自殺した、というニュースが二件ほどあったと思う。
二件ではなく、一件なのか、そういうことも私は知らない。
そんなに注意深くニュースを見ていないからだ。
学校や行政を相手に裁判をしていたりするが、私が思うのは、どうして、実の親は、我が子がいじめられていることに気づかなかったのだろうか、ということだ。
いじめられていても、家庭では明るくふるまう、というのが、よくある行動だが、
それでも、見抜けるはずである。
コミュニケーションが足りない、とか、そんなことではない。
両親が健在なら、その、どちらもが、我が子のことが可愛いと思えるなら、我が子が、不自然な明るさで、ふるまっている、というサインを見落とす筈がないと思うのだが。
父が仕事で忙しかったら、その時間、母が多く子供を観察するようにして、それでも、はっきりしない不安な様子を感じ取ったら、父が時間をとって子から聞く。訊いても言わないのは当然だから、行動を起こす。
普段苦痛に耐えていたり、悩みを常時かかえていたりするときの、人間の作った明るさというのは、明らかに異種のものである。
殴られた痕がある、とか、そんな物的証拠はなくても、所作が、前とは違ってきている、とか、食事の食べ方が、焦って早く済ませようとする食べ方に変わってきている、とか、そんなことで気づく筈である。或いは、べき、である。
言葉にしなければわからない。だからコミュニケーションが大事だ。などとだけ言っていたら駄目だ。察知力を働かさねば。(そういうことを言っていてよいのは、大人同士のつき合いだ。不完全な子供を保護するのが保護者なのだから、察知力は必要だ。察知しようと普段から思っている姿勢が大事だ)
ウチの父は、私が小学校高学年になって、同級生数人に毎日いじめを受けるようになってから、突如、参観日でもないのに、教室を訪問した。
父としては、私がいじめられていることに気づいていたのだと思う。
しかし、子供同士のことなので、切迫しきっていないと判断しただろう父は、参観するという行動以上の行動はとらなかったが。(その後、担任教師とは、個別に話していったようである。それ以上は、子供同士のことに踏み込めなかったのだろう。公立なので、容易に転校させられない学区制の壁もある)
その当時の私は、家では、学校でいじめられていることは、一切口にしなかった。
そして、やはり、家庭では、いつもより、明るく振る舞うようになっていた。
しかし、そんな私の状況でも、父は、私がいじめられていることを知っていたのである。
当時、母は、「どうして、アンタが95点やなくて、70点なんや」と、成績が落ちたことだけを責めていたが、父のほうは、言葉にこそしなかったが、私が虐められていることに気づいていたわけである。
このように、両親が居ることには意味があるのだ。
後になって訴えるということよりも、本気で我が子のことを気にかけているなら、我が子の内奥の変化に注意を向けるべきである。
そのための親なのだから。
一概には、今回のニュースの件を当て嵌めて言い切ることはできないが、私の考え方としては、そう思う。
ちょっと脱線して、私見を書く。あくまでも、私の主観にしか過ぎないということを、まずエクスキューズしておく。
山口百恵は、デビュー当時から、どこか陰があった。
何らかの事情を心に秘めていたのではないだろうか。
しかし、それが、どこか、陰のある色っぽさを発現し、見事にヒットした。
桜田淳子は、ある日、突然、髪を切ってイメージを変えた。それだけではなく、髪を切った姿を見せたときから、何か、作った明るさになった。
前後に、何かがあったのだろう。
現代の人は知らないだろうが、統一教会に入信するなどといった時期よりも、ずっと以前のことである。その変化したのは。
こういう風に、ファンでも、歌手の内面の変化に気づいているのに、身近に居る両親が、息子や娘の変化を見抜けない。
矛盾している。
コメント
>ビター・スイートさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)