ご本人には辛い、強迫傾向(ずっと同じことを考えてしまう)

 仕事中に考え事をしてしまう傾向

 哲学的善悪問答

私は、若い頃は、哲学的善悪問答をずっと頭の隅で考えている人間でした。
哲学的善悪問答というのは、何か、というと、丁度、今、マイケル・サンデルの白熱教室で議論しているような内容を、独りだけで考える、ということです。

サンデルの授業は素晴らしい、有意義なものなのですが、サンデルが突き詰めようとするような内容を、普段の仕事をしている場面で考え出すと、碌に仕事ができません。

 ずっと同じことを考えてしまうので、しんどい

ゆっくりと独りで過ごすときに考えるのは丁度よいことなのですが、仕事中であったり授業中であったり、運転中であっても、「考え事」のほうが、やってくると、逃れられなくなって、作業をしながらも考えてしまうのです。

 考えてしまう内容は、逼迫してない、どうでもよいこと

これが、ホントに切実な問題なら考えないほうが不自然でしょう。たとえば、借金とりに催促されていて、お金の工面ができずに困っている、というようなことなら、仕事中でも考えてしまうのは当然ですが、この傾向の場合は、今考えなくてもよいこと、さらに、結論のないこと、を考えてしまうということなんです。

こういう思考の傾向を、心理学では、強迫傾向、というようです。
或る考えが、頭にこびりついて離れなくなるのです。

それは、何も、哲学的なこととは限っていません。人により様々でしょう。
たとえば、今日の夕飯には何を作ろうかな、というようなこと。

 どうして、どうでもいい疑問が、考え事になるのか?

これが、どうして考え事になるかといえば、対立する項目を二つ挙げて、頭の中で議論を繰り返すからです。(どちらも間違いとは言えない答えを、どちらかに絞ろうとして悩むわけです。どちらも間違いではないのですから、永久に答えは出ません。二律背反。ジレンマですね)

夕飯の種類のことが、どうして、と思われるかも知れませんが、たとえば、

「今日は、天ぷらにしよう」

「いや、天ぷらは、油を沢山つかうし、その油を他の料理に転用できなくなるから、やっぱりやめよう」

「いや、長いこと天ぷらはしてなかったから、きっと主人も喜ぶはずだ」

「いや、油がもったいない。やっぱり肉じゃがにしようか」

「いや、今日は仕事で私自身がだいぶ疲れてるし、カレーでよいのではないか」

といった議論が、人により、頭のなかで展開されるわけです。

 強迫傾向は、軽度から重度まで

この強迫傾向、ノイローゼとまではいかなくても、有る人にはあります。
本人も、仕事の能率が落ちるから、そんな、今、どうでもいいことは考えたくないのですが、考えてしまうわけです。

私自身が、若い頃(二十代の頃)そうでした。
でも、これは、だいたいは年齢が上がるにつれて薄くなっていく傾向なのですが……。

年齢が上がると忘れっぽくなるので、丁度、この強迫傾向は消えていくのです。

それでも、この傾向から抜け出せない人もいます。

スーパーやコンビニでレジを打っている人を見ると、「ああ、この人も、考えてしまう状態だな」と、大体わかります。
自身が、その傾向を経験してきていますから。
私が、出先で出会う人のなかにも、一人じゃなくて、何人もいます。

 相手が、「強迫傾向」で考え事をしてる、と分かっても、そのことを責めるべきではない

しかし、皆さん、そうかも知れない人に出会っても、そのことで責めないでいてあげてください。ご本人にとっては、辛い状態だからです。考えようとは思っていないのに考えてしまうから辛いのです。
作業が遅くなります。
当然ですよね。コンピュータで言うと、二つの作業を同時にしていることになるのですから。

心配しなくても、いずれは、この傾向なおります。
それは、私が保証します。

では、また。(^。^)

さらに追記ですが、この、強迫傾向になる人は頭の回転のよい人だと推察できます。
 考える傾向が強いのですから

 強迫傾向から脱出 管理人の場合の経緯

 向精神薬断薬と加齢

私自身が、この強迫傾向から脱したときの手応えを書いてみますと、第一に、同じことをずっと覚えておくことができなくなったからです。加齢です。

それから、私自身、二十代の頃には、昼間にも向精神薬を服用していたことがありました。昼間、向精神薬を服用していると、頭のよい人でも頭の回転がにぶります。

私が、強迫傾向から脱した第二の理由は、昼間、完全に断薬するようになったからです。
鬱病の人にはお勧めできません。鬱病は、医師から処方された昼間の薬もきちっと飲んでないと状態が急に悪化する恐れがあるからです。と、前置きして、私は、或る時期から、昼間の向精神薬を服用を完全にやめました。

そうなると、哲学的善悪問答を頭のなかで提起しても、おそるべき速さで脳が回転し、一発で答えが出てしまうのです。だから、悩むこと、考え事をすることがなくなりました。

「それは、こうだ!」

「その事については、考えても正解はない!」

という答えが、瞬時に出るのです。

まさに、昼間は、完全に覚醒しているのです。
同様に、夜、就寝前に飲んだ薬が、血中で多くのパーセンテージで残っていては駄目です。

強迫傾向になる人は、もともと頭がよい人ですから、もし昼間服薬していらっしゃるなら昼間断薬するだけで、もの凄い速さで問題の答えを出すようになるので、悩まなくなります。
但し、服薬している人は、担当医と相談してからにしてくださいね。

 理由3 経験値が増えたこと

そして、第三の理由は、社会経験が増えて、経験値が増えたからです。そして、おおまかな意味での知識も。
同じことを考える場合でも、材料が格段に多いと、より正解に近い答えを出すことができます。

たとえば、聖書のなかに、「信仰とは忍耐である」と書かれてありますけど、それを、暮ら
しの知恵のように単純に受け止めていたのです。若いときは。
でも、今、そのことを考えると、なぜ、「忍耐」を強調してあるか、を考えると、聖書には、それが言われた場面があるわけでして、社会背景が違うのですね。
迫害を受けるのが当たり前のような時代だからこそ、「忍耐」を強調されたわけです。
そういう風に、ベースになる知識がしっかりして来ますと、今まで悩んでいたことが、違う見方で見える。何を、こんなことで悩んでいたんだろう、と、正解がわかります。

 強迫傾向は、どっちにしても年齢を重ねると無くなる

しかし、今でも、正解のわからないことも勿論あります。
その場合は、昔のように早急に答えを導きだそうとは思わなくなったんですよ。
諦められるようになったのですね。
これが、老成でしょうね。


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