職務時間中に喫煙して、どこが悪いの?
業務の妨げにならない範囲なら、いいんではないの。
回送電車で、お客さんが一人も乗ってないときに運転士が煙草を喫いながら運転するのの、どこが悪いの?
入れ墨も、露出しない部分の肌に入れるのが、そんなに悪いの?
製造業の派遣の仕事ぐらい息つく暇もないほどの仕事の仕方ではないのだから。
そんな細かいところを取り締まる意味がわからへん。
喫茶店のウエイターしてても、お客さんが居ないときは、業務時間内でも煙草ぐらい喫うだろうし。
たとえば、セールスの仕事をしてても、お客さんとの会話の間に、相手が嫌がらないなら煙草ぐらい喫うし。
何を、細かいことをつつくことばかりしてるの。
そういう理屈でいけば、業務中に雑談したら、その時間も細かくチェックして給料減らすことになるけど、どうよ?
授業を放りだして、外に喫いに行ったわけではないでしょう。
それだったら責められるべきですが。
今回の報道にしろ、原発の反対運動にしろ、世間が、嫌煙権を主張する人が多くなってきたり、原子力発電反対の世論が大きくなってきたりしたときに、その多数派の意見を声高に叫んで、アクセルを踏む。
タレントでも政治家でも、本心から、価値観として、そう思って意志を表明する場合は理解できるけど、マジョリティーに迎合してアクセル踏んだら、そりゃ人気は出ますよね。
そういう人たちが多いように思う。
マイノリティーで、でも、自分が正しいと思ったことを意思表示できる人は少ない。
内心が見えるような気がする。
コメント
根本がちがいますね~。喫煙は、そのもの自体が害があるもの。健康上の害が認められている行為を公然に放置してはいけません。日常の生活においてペースメーカーを埋め込んでいる方、喘息の持病を持っている方等様々いらっしゃいますので、自分ばかりがいいじゃないかでは、社会では成り立ちません。
>健康増進組合さん
恐らく、反論のコメントがつくだろうと予期していました。
議論には、付き合える範囲まで付き合いますが、あまり長い議論になってくると、時間が惜しいので、打ち切ります。最初にご了承ください。私は意見を提示するだけ。議論は掲示板ででもしてください。
まず、健康上の害と仰有いますが、喫煙率は、かなり下がってきているのに、肺ガンに罹患する人の数は増えている、とう統計があります。健康に害があるとは完全には言い切れないのではないでしょうか。
また、害があるとしても、ペースメーカーを埋め込んでいる人のまえで喫うとか、喘息を持っている人のまえで喫うとかを、私は許しているわけではありません。
学校などは、数年前から構内すべて禁煙になりました。これも行き過ぎではないでしょうか。
職員室に、隔絶した喫煙ルームを作れば済むことです。
自分の健康管理は自己責任です。
健康で長生きして、その結果が、少子高齢化ではないですか。
私自身も含めて、或る程度の年齢になれば、脳梗塞や心筋梗塞で呆気なく死ぬほうが幸せとも言えます。
医療が高度になって寿命が伸びることも功罪あります。
生徒の目の前で喫うとか、火の元を管理しない、とか、運転に差し支える場面で喫う、とかが問題なのではないですか。
まあ、それぞれ、企業や学校では、その団体で決めたルールがあるでしょうから、それを護ればいいのですが、そのルールを決める大元の動きは、地方の政治家が提案しています。
その指向性が、きつすぎませんか。
他人に迷惑をかけてまで喫煙しろ、とは言ってないのです。
喫煙リスク=肺がんではありません。かなり広範囲にわたる成人病への悪影響は医学的にうらずけされています。
また、自己責任といいますが、場所においては回避できない状態での他者からの喫煙の弊害があります。
あきらかに喫煙者のための権利を肯定化するための持論そのものです。
現在、一般社会においてこれほど健康に関心があり、公的な機関(病院等)でも禁煙を推進する中、そのような考え方では孤立してしまいますよ。時代を逆行する内容に理解を求めても誰も賛同しません。
>健康増進組合さん
成人病への罹患率が高まる、のは事実だと思います。
回避できない状態での他者からの喫煙の弊害、と仰有いますが、もし仮に、そのような場面が出てきたとしても、ほんの僅かな受動喫煙で成人病や癌を誘発するということがあるのでしょうか。
また、回避できずに喫煙者の副流煙を吸い込んでしまう場面とは、具体的に、どのような場面でしょうか。
私は、持論を発表しているだけで、社会から孤立することなど、まったく恐れてはいません。また、賛同者がゼロになるということはありません。
もしも、喫煙が健康を脅かすものであると断言して、受動喫煙も大変深刻な問題であるとするなら、国に働きかけて、煙草の販売を中止させるべきでしょう。ご存知のとおり、喫煙は、人によっては幻覚作用などを起こす場合もあります。それだけ有害なものを国は、国民に対して売り続けてきて、その結果、喫煙依存になる人を増やしてきたのです。
しかし、そこまでの法的改正や規制をすると、ジョージ・オーウェルの『1984年』のような社会になってしまいますよ。
人により、成人病リスクのみならず、ただ単にたばこの煙によるアレルギー、またそれ自体に嫌悪感を抱く方もいます。前回も記述しましたが、それ自体=ではなく、複数の要因、結果をもたらすことがマイナスだと言うことです。
あえて害がある行為の場所を、その限られた人たちの為に企業、公的な所が、今以上にわざわざ設けるメリットがありますか?木を見て森を見ずですね。何をするにも費用がかかります。何度も言いますが、あえて必要性がこの時代はありません。成人病健診、がん検診の受診率が高まっているのがすべてを物語っています。
それと国に働きかける云々ではなく、ひとりひとりのデリカシー、マナーを向上させるためにも自覚が必要なのです。理屈をこねるのではなく、人としての優しさ、柔軟さを備えていないといけません。国政と個人の思想は違います。すべてが法化して済むような社会では、ぎこちなくて住めません。
人はひとりでは生きていけません。すべてが大衆の中で存在し、思いやり、助け合い生きていくのが今日必要なのですよ。
議論も国に働きかけるとかまでいくと、手ズマリですよ。
>健康増進組合さん
どうしても、ご自分の考えに変えさせなければならない、という考えを捨てたらどうですか。
最近では、病院でも構内の屋外に喫煙場所を設置するところも出てきましたし、新幹線のなかも喫煙コーナーが出来ています。
業務中でも業務に差し支えなければ云々という、私の考え方も、「そういう考えの人も居るのだなぁ」と柔軟に捉えられませんか。
>人はひとりでは生きていけません。すべてが大衆の中で存在し、~
↑こういう議論を敷衍させてヒューマニズム的な、もっともらしい論調で、さも正しいことを言っているように見える書き方は止めてください。こういう書き方だと、私の持論も、それが正しいと思う人には当てはまることになります。
もう、これ以上、不毛な議論をしたくないので、コメントは制限します。