西村賢太さんの、『小銭をかぞえる』を読みました。
感想は追記で挙げますので、しばらくお待ちください。
感想
西村さんの小説は私小説なので、ご本人の苦悩や嗜好がリアルに伝わってくる。
でも、考えてみれば、自分自身のことを書くとき、俯瞰して自分を観測するということは常人では出
来にくい。普通の人が書いた場合、自分を美化して書いてしまうのではないだろうか。
今回の中編二作も、故・藤澤淸造氏の全集を出版されようとしている日々を描いたものであった。
『焼却炉行き赤ん坊』では、同棲中の相手がマンションで犬を飼いたいと言い出し、犬嫌いの主人
公としては、それを断りつづけ、或るとき、犬の代わりにぬいぐるみを買ってやるのだが、何かとぬい
ぐるみに話しかけて自分をからかってくる彼女に苛々してくるという話しだ。
途中まで読んで、やはり、この女性は自分の子が欲しいのだなぁ、ということが読み手に伝わってく
る。それが不可能な障害か機能不全を女性がもっていることが、何とも世の不条理を思わずにはい
られない。
『小銭をかぞえる』の方は、主人公が金の工面に奔走するという話しだ。
生活費に困るくらいなのに、アルバイトもせず古書を売ったり、講演会で僅かな金を得たり、同棲中
の女の財布に頼ったりする主人公。でも、その気持ちも分かる。自分の小説も書いている生活なの
で、その上、藤澤淸造氏に惹かれて責務のように、その全集の出版に心血を注ぐのだから、生業の
仕事にかまけたくはないのだろう。決して贅沢はしていないけれどもお金がかかってしまう。
女の実父にお金を貸してもらうことを許してもらって一段落する。
上手く自分の当座の小遣いまでせしめた主人公だったが、最後は酷いことになる。
自分の女を確保している点で甲斐性のある生き方だとも言える。
両中編とも、最後は酷い辛辣な終わり方になってしまうのだが…。
自分の欠点を俯瞰して知っておきながら、やっぱり女を叩いたり追い詰めたりしてしまう自分。嗚
呼、やっぱり人間は不完全なものなのだ、と、私自身の性格の一部に重複するところもあるだけに納
得させられてしまう。
読んでいて、興味深いのは、一人称で全て主人公の目線で描かれていながら、場面によっては、
女の立場に近づいて身を置きかわって感情移入してしまう、そういう読み方もできることだった。
・西村賢太氏の他の著作の感想→ 『どうで死ぬ身の一踊り』 『苦役列車』
コメント
>shinさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)