曽野綾子著『人間の基本』読了(追記あり)

 曽野綾子(その・あやこ)さんの、『人間の基本』を読みました。

人間の基本 (新潮新書)

人間の基本 (新潮新書)

  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/03/01
  • メディア: 単行本

 感想は、例によって、追記をお待ちください。

   追記・感想

 この本のテーマとメッセージ

 中身のない大衆の風潮に流される生き方に活を入れる。

 戦前生まれの曽野綾子さんから見て不自然な現代人の生き方を正される内容だった。

 私の父母で、昭和11年生まれだが、曽野さんは昭和6年生まれ。戦前・戦中の日本の

気風を肌で感じられて育たれたと思う。

 身体で学ぶことが大事

 ずっと部屋の同じ環境を維持して、テレビを見たり、インターネットをやったりする。

こういう暮らし方が、地に足が着いた感覚を失わせる。

 NGOのお仕事で、よくアフリカに行かれるそうだが、現地に着くと、真っ先に水をバ

ケツに張られるそうです。

 何事も万が一の事態を想定する。戦中を生きられたからこそ、お金があっても食糧にあ

りつけないという体験をされて、いつでもサバイバルする気構えがお出来になられている

のでしょう。

 オーストラリアからニュージーランドに入ろうとされたとき、厳しい検疫に遭った、と

仰有る。口蹄疫の問題が発生していた時期です。外国は危機意識が高い。最悪の事態に備

える政策がとられます。また、政策でなくても、現地の人々もまた、感染を水際で食い止

めようという行動をとります。

 世の中で言われていることと現実の違い

 虫のついていない、葉がまったく食われていないキャベツ、を育てるには、大量の農薬

が要るという現実。(無農薬を推奨する世風だが、基本的に農薬がないと食べられるくら

い虫に浸食されていない野菜を手にすることが難しい、ということも知っておきましょう、

という意味で書かれている)

・リッチ化とは貧困化

 1972年にチリのアンデス山中で飛行機が墜落し、生き残ったラグビーチームの16

人は凄絶な飢えと闘う中で、死んだ人の肉を食べることで命をつないだ。

 救出された人たちを迎える会で、息子を亡くした父親は生還者にこう語りかける。

「私は医師としてこうあることを知っていた。ありがたいことだ、十六人を生かすために、

死んだ何人かがいたのだから」【本文引用】

 この言葉に共感した曽野さん。そして、その共感は想像力なしには出来るものではない、

と仰有る。この父親も自分の息子が食べられたのに、生還者に共感している。これこそ、

人間の頭脳の働きだ、と。

 NGOの仕事として建てた施設が、上手く機能しているか。それを現地にまで行って確

かめられる。それは、病院などで患者が粗末な扱いを受けていると、エイズ患者の場合、

糞便によって病室自体が酷い臭気にまみれていることがあるから等ということから。

 電子書籍は、画面の文字を追いながら、影像や音声まで楽しめる機能がついている。こ

れを「リッチ化」と称する。しかし、人間は、出来るだけ活字だけから、内容を頭の中で

組み立てる力が要る。これが、重要な能力。だから、想像力の貧困化と言える。

・観察眼を持つ

・自分なりの知恵を働かせる

・教育は強制にはじまる

 知識と知恵を、授ける者と授かる者の立場の差をはっきりさせておかなくてはならない。

学校から教壇を廃止したことへの苦言。

・他人は自分を理解しない

 日本でも徴兵制を実施すべきではないか、との意見。隣の韓国が経済、スポーツなどあ

らゆる分野で急伸しているのは、若者に徴兵制があり、常に北朝鮮との関係で危機感があ

ることと無関係ではない。【一部本文引用】

 たしかに、現代の日本で軟弱な男性が多い原因が、徴兵制がないことなのかもしれない。

自分のことばかりを考える。しかも、自分が幸福になりたい、ということばかり考えてい

るから軟弱になる。一カ所目の就職先を辞めてしまえば、もう何をする自信もなくなって

しまう。

 遊牧民にとって、ナイフは布を裂いたり、薪にになる木をつくったり、食料の肉をさば

いたりするための、生きるための必需品。男は、大人になればナイフを持つのが当たり前

だそうです。凄惨な事件が多発するから、所持が違法になってしまいましたね。敷衍して、

小刀で鉛筆を削れない人も増えました。曽野さんは、「ナイフ一つ持たせられないのは、

人間としての能力開発の欠如です」と仰有っています。

 良い状況を与えるのが教育ではなくて、多少なりとも悪い状況を与えて、それを乗り越

えていく能力をつけさせるのが、教育である。

 最近、人気がある『宇宙兄弟』というアニメでも、宇宙飛行士になるための訓練には、

砂漠を横断するサバイバル訓練があったりしますね。曽野さんは、若者や子供を甘やかし

すぎだと仰有りたいのでしょうね。

 他人が自分を、完全に理解してくれることはないものだ、ということを分かった上で、

他人とつき合いましょう、ということです。

 ディレッタントであれば、お客であれば、何でも至れり尽くせりであるのが当たり前で

ある、というような、甘えた考え方を捨てましょう、ということです。

・義務を果たしてこそ自由

 無着成恭さんの『山びこ学校』がベストセラーになり、無着さんが、「いやぁ、子供っ

て、すばらしいもんだ。先生、ドアから出入りするとは知ってたけど、窓からも出入りで

きるんだね、って言うんですよ」と、子供の思うままの行動に大人の自分が教えられた、

というのだが、窓の場合、入ったら、高層建築の外側かもしれない。ドアは、出入りする

ために作られているが、窓は出入りが目的ではないので、必ずしも窓から出入りして安全

であるとは限らない。こういうことを教えろ、と仰有る。

 他の本で読んだことで思いだすのが、現代人は、バーチャルな場になれてしまって、現

実の場でも、たとえば横断歩道ぎりぎり手前の三十センチまえを高速で車が行き来してい

るような場所で信号が変わるのを待っていたりする。自分の身は、最終的には自分で守る

という意識が低い。

「自由」には、まず、「自由の制限」がある。満員の映画館のなかでわめく自由は、誰に

もない。

 インドのヴァナラシで、気さくな若い日本人女性の旅行者と出会った。自分で働いたお

金を貯めて、その金で、「いられるだけいるつもりです」と逗留を楽しむのだそう。その

話を知りあいのインド人神父にすると、「彼女は、自由ではない。自由というのは義務を

果たしていてこそ自由なのだから。彼女は何も義務を果たしていない」と言われたそうで

す。二十万もあれば、丸一年逗留できるだろうと計算してみられたそうですが。

 やはり、人とかかわることが大事ですね。ただ旅行者として、お客さんの状態で一年も

同じところに居るのは自由ではない、ということです。

 大人には、やはり勤労の義務があります。働けない人の場合は、世の中に働きかける何

かをすることも義務だと思います。ただ自分のために遊びだけしているのは、本当の自由

ではない。

 しっかりした大人、正論を言って、その通りに自分も行動している大人ばかりが、子供

の教育をしているのではない。不条理に疑問を抱かせる意味でも、反面教師も必要である。

 聖書では、罪を二つに分類している。

 ハマルティアとパラプトーマ。ハマルティアは、過ちと言うべき罪。パラプトーマは、

意識して行うもの。

 日本にも、戦争博物館をつくるべき、と仰有る。どの民族にも、無知と残虐の歴史があ

る。日本軍の戦闘シーンや戦車や軍艦や作戦を紹介し、相手国(アメリカなど)のそれら

も見せる。そして、訪れた人それぞれが、自分の頭で考える。こういうことが大事だと。

功罪両方ある戦争の、負の部分を隠すことはない、と。

 私も思うが、日本が勝っていた場合は、戦争責任論も大きく変化していただろう。世論

のフィルターがかかったあとの写真や記事を見るのではなくて、第二次世界大戦そのもの

の総括の意味の博物館を、日本にも作ればいいのである。

「泥棒したらもう人間ではないから、学問などしなくてもよろしい」と、戦前にお母様か

ら言われた曽野さん。「人間としての基本ができていない人は何をやる資格もない」とい

う意味だったと振りかえられる。

 この辺りは、この本のタイトルと重なるところです。

「借金して物を買ってはいけない」「欲しい物があったら、お金を貯めて買いなさい」と

も教えられています。これは、泥棒してしまうことがないように、との予防策を教えられ

たのでしょう。

 規範を破るときには覚悟がいる、と語られます。自分の考えでは善と思えても、世論で

悪となっていることをする場合には、あとで責任をとる覚悟が要るという意味です。

 ネクタイを締めるのは、相手に対して慎ましい気持ちでいる、きちんと応対しようとい

う気持ちでいることを伝える意味での一種の妥協策である、と。

 他人が他人のことを書く伝記小説、はいけない、と仰有る。他人は他人のことを深く知

ろうとしても、深くは知ることができないのだから、と。

 この辺りの著述には、最近雑誌でのコラムのタイトルで見た内容と重なる部分があると

思う。曽野氏の。

 FACEBOOKや掲示板は、しないほうがいい、という見解を、縷々述べられていた。

 誰だか分からない人から、中傷されたりするから、という理由だった。しかも、自分の

私生活をオープンにするので攻撃されやすくなる、という見解も述べられていた。

 人間の基本の大事さ

 人間は、基本の「基」にぶつかった時に、あるエネルギーというか、覚悟ができます。

そこでは挫折や摩擦や葛藤がつきものですが、それがないと得られる対価もなく、ひたす

ら周りと同じように考える人間になってしまいます。【本文引用】

 締め切りが来たらその日のうちに書き上げるのは物書きとしての義務。辛いことをしな

い人は何ももらえない。お金も達成感もなくて当たり前。それを不平等だの、社会がまち

がっているの、と言われると、働いた人たちは怒ります。【一部本文引用】

 もともと人間は、どこかで自分の好みに従って自らを鍛える存在である。現実にそれが

できない人が増えているのは、自分自身の、自分なりの目標も考えも持たないから。【一

部本文引用】

 何事にも善悪両面がある。「孤独」が社会問題化されているが、孤独が人間を鍛えると

いうのも真実。

 大江健三郎氏が、沖縄戦で渡嘉敷島の集団自決を命令したという二十五歳の陸軍の特攻

船艇舞台部隊の隊長について「罪の巨塊」と書いたが、曽野さんが『沖縄戦・渡嘉敷島「集

団自決」の真実』を書くために関係者に取材すると、どんなに関係者にあたっても、その

人が自決命令を出した、と言明する人には会わなかったそうだ。そういう意味でも、完全

な悪人など居ない、というご自身の考え方を主張される。

 do-gooder=いいところを見せびらかす人、について。

 タイガーマスクが孤児院にランドセルを送ったニュースが報じられ、私も曽野さんと同

じことを感じたのだが、だから、私は、身分を隠して運営しているブログのほうでは、こ

の問題点を書いたのだが、一人目のタイガーマスクは、純粋な善意だと思うが、二人目以

降は、このdo-gooderと言えないだろうか。いつでもやめられる、大したお金ではない、

自分が楽しい、人にも褒められる、という動機からした行動だと思う。曽野さんと意見が

まったく一致した。何も、匿名で贈り物をしなくてもいいのであるし、ランドセルではな

くお金のほうが汎用性があって、後に孤児院で有効につかってもらえる。しかも、中途半

端な少ない数のランドセルである。

 李神父への施設建設の援助を打診されたときの、李神父の返答に教えられたこと。一人

の寄附でボンと施設を建ててしまわずに、「人を助けるという貴重な機会は、誰かに独占

させないで皆に分け与えてください」との返答だった。

 苦しみや負荷を多人数で分担して軽減しよう、という考え方はスタンダードだが、善意

もまた、一人でできることであっても、少量ずつ多数の人が「与える」という立場を経験

すべきなのだ、と発見させられた。

 肌の色の違いによる、たとえば白人優越意識などの差別は、あって当然のものだとわき

まえよう、と語られていた。馬鹿にするからといって、人間として扱わないまでの差別は

いけないだろうが、日本人でも黒人に対する侮蔑意識はもっている筈だからだ。(本編に、

このように書かれていたのかは定かではない。意味として同義のことが書かれていたと思

いだしながらの記述である)

・乞食もまた労働である

 今の日本人は、貧しいという意味がわかっていない。健康と自由と、多少のお金があっ

て海外にも行けるのに出て行かないから、ますます狭い視野でしか物事の判断ができなく

なっている。【本文引用】

 本来の貧困の条件とは、「今晩食べる物がない」こと。それも、どこかに行けばある、

というレベルではなく、本当に、どこにもない、こと。

 解決策は、空き腹を抱えて水を飲んで寝る、盗む、物乞いをする、このどれかしかない。

 イタリアでは、乞食も職業と捉えられている。

 私も数度、コラムに書いてきたが、職に就けない人、とくに前科のあるような人だと、

また盗みでもしなくては生きていけない。就職がすぐに決まればいいが、パート勤めでも

決まらない人もいる。今日、寝るところにも困った状態が貧困である。そうなると、恥を

捨ててでも、他人に物乞いするしかない。日本人は、誰も、自分だけは、そんな底辺の状

態にはならないだろうと思い込んでいる。また、本当に困ったときに、他人に恵みを乞う

ことができない。

 格差のない社会など存在しない。

 完全にプライバシーを守りたいなら、出生届を出さないという方法しかない。

 戦後社会で、死は「臭いものには蓋」のように覆い隠されてきた。外国の新聞では、犯

行現場や遺体の血まみれの様子を載せる。

 権利があれば、義務がある。

 大人になってから、社会から受けた恩恵を返していきなさい、という意味のことは、森

進一の『おふくろさん』でも、歌詞に織り込まれていますね。

・才能と辛抱は重なる

 他の本で読んだが、個性というとき、究極には、身体的特徴や顔の美醜でしかないので

はないか、と。

 プロスポーツ選手になりたいと、いくら努力しても、遺伝子による筋力や筋肉量の付き

方には、人それぞれに限界があるし、オペラ歌手でも、最近は女性はある程度の美形であ

ることが求められるようになっている、と。

 一方、小説家になるには、病気さえ糧になる、と。長期間、大量の文章を書きつづけら

れるか、が、第一の要素である、と。しかし、これも、ある程度の文才という資質も必要。

 人間、成りたいものになろうとして挫折しても、横や斜めの角度からその分野に関わっ

ていくこともできる。人生、理想どおりにはいかないし、けれども棚ぼたの僥倖もある、

と。

 アマは労働時間でもって労賃を得る人。プロは、時間とまったく関係ない働き方。

 順を追って本編を紹介しながら感想も付け加えてきたのだが、今のところ本編の半分を

超えた辺りである。

 感想

 これ以上の内容紹介は避ける。

 曽野綾子さんのような年代の方こそ、世間の長いスパンでの変化を体験されているのだ

と思う。だから、あらゆる問題への解決策をすぐに提示できる生き字引のような存在であ

る。

 戦前生まれで、戦前の倫理観も持っておられるし、戦中・戦後の、お金があっても食べ

る物に困る、という状況も経験されている。女学校はキリスト教系の学校で、躾けも厳し

かったようだ。お元気な内に、色んな話題を対談してみたいと思う。そう思える人である。

 多くの日本人が、自身の安全と保身だけを第一に考えるようになって、企業戦士なども、

ハウツーは考えるが、「何に」「何の目的で」というwhatは考えないようになったし、且

つ、個人個人をみても、人とは違う分野で高みを目指そうとする人が減っている。

 曽野氏は、現代の日本人に、「もっと背骨を持て」と仰有りたいのだろう。

*曽野綾子さんの他の本の感想は、こちら→  『人間関係』

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