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『悩むチカラ』読了(追記あり)

 伊藤友宣さんの、『悩むチカラ(ほんとうのプラス思考)』を読みました。


悩むチカラ (PHP新書)

悩むチカラ (PHP新書)

  • 作者: 伊藤 友宣
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2013/07/12
  • メディア: Kindle版

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 クヨクヨと悩むのが一番よくないと書かれていた。

 フロイトの精神分析を紹介され、我と超自我と自我が人間にはあって、その前者二つの葛藤に

よって、行動の結論を出しているのだから、誰でも悩むのは当然なのだと。

 我というのは、エゴで、自分はこうしたい、という欲求そのものである。

 それに対して、超自我というのは(スーパー・エゴとも言う)、理想的な行動をすべきだ、と

思う自分の心である。

 誰でも、この二つの心で葛藤しながら結論を導いていく。

 それが、特に現代社会では、超自我の結論ばかりを、自分が言うときも相手に指摘されるとき

もやりとりしている。これでは、なごやかな心の通い合う会話はできない。

 

 この本の内容には直接でてこないが、人間、自己肯定感というのがないとささくれ立つ。

 相手を諭すときでも、超自我を持ちだして、「だけど、~すべき」とは言わないで、「だのに、

~できないんだね」と、相手の気持ちを(現状を)受けてやるようにすれば、相手は反撥しない

し、説教にはならないで、自然に、相手の内からのやる気を導き出すことが出来る。

 どうにも、自分でも分かっていて悪癖からは脱しきれないのが人間だし、人間の自発的に建設

的な行動をとろうという意識は、誰にもある、と。

 

 それで、心という概念には、内面に葛藤があるのが分かってきた現代なのだから、悩むと結論

が同じところで終わり、クヨクヨと暗く悩んでしまう場合も多いのだが、右脳のひらめきの力を

信じよう、と仰有っていた。

 ロゴス的思考には、限界があるのである。

 だから、敢えて結論が出るまで待ってみようということである。突然ひらめきが起こって、新

しい解決策に導かれることがあるからだ。それまでは、明るく悩みつづけよう、という論旨だ。

 誰もが、個人主義になって超自我だけで接しあっているから、お互いに身構えた社会である、

と。お互いにエゴを少しずつ出し合って、そして、これが妥当だという解決策に至る。そういう

つき合いが望ましい。大人や親と言えども、自己の内面ではエゴとスーパー・エゴが葛藤してい

ることに変わりはないのだから、正論だけを子供に諭すよりも、自分のエゴの部分も子供に露見

しつつ会話すると、もっと血の通ったコミュニケーションになる。

 

 カウンセラーをしておられる著者。最近の(版が古いから2005年までだが)凄惨な事件に

ついても、犯人の心理構造がどうだったのかに言及されていた。周りが、超自我(スーパー・エ

ゴ)だけで頭ごなしに諭す、とか、つき合いを避ける、反応しない、ということによって、犯人

の青年や少年は、誰にも相手にされていないという気持ちが強くなってしまった。

 

 著者は、樹研工業社長の松浦元男さんの生き方に共感し、理想であると賛辞されている。

 それは、松浦さんのお人柄のことを一番に仰有っているのだと思う。

 飾るところのない、決してスーパー・エゴだけで人との付き合いをしない人で、ご興味の向か

れることには邁進され、長年の30ものお仕事経験のあとにバンドマンをしながらあらためて大

学に行かれ卒業され、起業されるという、喜びが動機となって努力する人であるからだ。

 松浦さんは、高校生活に意義を感じられない、と中退されている。しかし、やはり勉学が必要

と思われて中年になられてから大学に行かれている。30もの職を転々とされた謂わばフリータ

ー生活のなかでは、自分が一体何がしたいのかを模索されていたようである。

 だから、決して今のフリーターの人もやる気がないのでなく、これ、と決まってからの努力す

る意欲は内蔵されているものだと伊藤氏も語る。

 

 伊藤氏は、ウチの親と丁度同じ年代。小学生の頃に戦後GHQの指導で教科書を墨で塗りつぶ

した世代だ。

 戦前・戦中の方がみんないきいきしていた。のは確かだが、有無を言わさず天皇の命令に従う

のが美徳で不敬罪まであった時代に、自己実現を望むことはなかった。それで、悩む必要という

のがまったくなかったからいきいきしていたのだとも言える、と仰有る。

 戦後、アメリカ軍によって創られた日本国憲法だが、主権在民で戦争放棄とは世界中で一番理

想を具現化している憲法であるのだ、と。

 しかし、こういう、自由主義と民主主義が急に導入されたので、国民の感覚がついていってい

ない。イデオロギーは、海外の場合、ゆっくりと変化していったのだ、と。それで、日本の場合、

法律さえ護れば、あとは何をしてもよい、という風潮になってしまった。ホントは、個がそれぞ

れに責任を持ち、個が倫理的にも高い水準を維持していくことも大事なのだ、と私の考えとして

も思う。

 

 これからの時代は、個と世界、という時代になる。(もう、なっているか)

 みんなが分かり合える。瞬時に知り合える、ということは良いことだと仰有っていた。

 そういうコミュニケーションでは、なおさら超自我でのぶつかり合いだけではなく、エゴを少

しずつ露呈しつつ、おだやかにつき合うことが大事ではないだろうか。そういう意味のことを仰

有っていた。

 余談とも言えるが、インターネットを駆使しないと、就業そのものから置いていかれる。そう

いう意味のことを仰有っているように、全体の本編を読んで感じた。

 

 閉塞感をもって同じところばかりで思考が回転してしまうならば、好きな料理を腹いっぱい食

べて性欲も吐き出して、好きな趣味に没頭して、良い意味での疲れで一旦ぐっすり眠りなさい。

と、そういうことを、特に若者の相談者には仰有るそうである。

 眠りと食事がホメオステーシスには良薬なのだから。

 体が自然に元気を取り戻す力のことをホメオスタシス(ホメオステーシス)と言う。(簡単に

言うならばだが)

 やはり、制約だけを設ける生き方よりも、興味の向くことに時間を忘れて没頭していく、とい

う生き方の方が、良性循環していくものだな、と思った。

 全編をとおして、伊藤さんの温かい父性を感じた本だった。

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