岡本裕一朗さんの、『モノ・サピエンス(物質化・単一化していく人類)』を読みました。
例によって、感想は追記をお待ちください。
追記・感想
ホモ・サピエンスではなく、なぜ、モノ・サピエンスなのか。
それは、人がモノ化していっているから。
フーコーの『監獄の誕生ー監視と処罰ー』のなかで展開されたパノプティコン。ジョー
ジ・オーウェルが描いた『1984年』のなかで登場する「ビッグ・ブラザー」。こうい
う世界が今や、既に展開されている。
規律を求める社会ではないが、多数が少数に監視される社会。
生産者の人口が減って、消費者の人口が増えた、超消費社会。
全就業者に占める製造業人口が激減している。
みんなが消費者(お客さん)の気分でいる。
また、必要でない物を、宣伝に煽られて買って、しかし、商品を持つ喜びは
永続きしない。
企業は、次々にモデルチェンジした新商品を出してくる。
ブランドも、元は、希少価値のある手作りの物を、セレブ相手に売っていたの
だが、買収されて工場を持ち、量産型になっている。
しかし、そうした消費のあり方を否定してしまうと、現代では経済がまわらない。
インターネットや携帯を使うことによって、国にではないが、それぞれの企業に
貴方は常に監視されている。
企業にとって、個人は、コード化されたモノなのである。(どれだけ購買力がある
か。何に興味があるかなどの情報として人は企業に受け止められている)
「あとがき」で、著者がこの本を執筆することになった動機が明かされる。
それは、格差社会の議論が、オブラートに包んだような議論に思えて、なぜ、格差
が生まれるか、という根本的な問いがおきざりにされていると感じたかららしい。
「勝ち組」であろうが「負け組」であろうが、私たちは互いに同じゲームを戦ってはい
ませんし、敗者復活戦のチャンスも巡ってはきません。【本文引用】
「人間のモノ化」「使い捨て」という現実が著者のなかで浮かび上がった。
この本のなかでは、特にバイオテクノロジーが採り上げられる。
受精卵の着床前診断、ES細胞をつかってのクローン技術。売買される精子、
卵子。体外受精。そういう自分の子供には優秀であって、少なくとも人生のスタート
で得をさせたい、という願いは、親だったら誰でも抱く、ということ。また、堕胎の数は
凄く多く、その胎児の細胞をつかっての病気の治療も可能なこと。
この本が一番言いたいのは、人間、一見、法律で自由平等が保証されているよう
に思うが、実は、不平等だらけである、という事実。
政治家は、二世、三世が幅を利かせているし、小泉純一郎内閣も、劇場型と言わ
れたのは、当時、自民党の広報担当者となった世耕弘成参議院議員が、元NTTの
報道担当課長で、企業で行ってきたメディア戦略をそのまま小泉劇場に応用したから
である、というような私にとっては衝撃的な事実もある。
例えば、医者の子は、大体医者になる。それは、スタートが優遇されているからだ。
早い段階から進学塾に行かせる財力も、親が持っている。
そして、また、才能があるかないか、という問題も、究極的には遺伝子の差異なのだ、
と。たとえば、足の遅い子が、速くなろうと努力しても、学年でトップの子は抜けない。
こういうことからしても、いかに人生というのが不公平にできているか、ということを
まず、語っている。
殆どの人が、ディレッタントで消費者の立場で物を言い、それに応じる形で企業は
戦略を練って売り上げを伸ばす。そのことがいいか悪いかは別として、そういう形で
社会も経済も発展していくしかない。というのが、この本の謂わば結論だった。
かなり、上滑りな紹介だが、詳しくは本編に譲る。
どの分野に関しても、かなり深い考察が書かれているので、読まれてみては
如何だろうか。
コメント
>ビター・スイートさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)