『ひねくれた人に振り回されない88の方法』読了(追記あり)

 岩月謙司さんの、『ひねくれた人に振り回されない88の方法』を読みました。


ひねくれた人に振り回されない88の方法

ひねくれた人に振り回されない88の方法

  • 作者: 岩月 謙司
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2008/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 例によって、感想は、追記をお待ちください。

   追記・感想

 やはり、幼い時期に親の愛情を充分に受けて育たないと、人間不信になる、という論旨

だった。

 親から虐待を受けたとすると、「人間は、しょせん皆、自分を虐めるのだ」という論理

ができあがってしまって、純粋に無償の愛で接してくれる人のことも、「どうせ、この人

も、自分を虐めるだろう」と思ってしまうのである。

 無償の愛、といっても、ここで言う無償の愛は、大幅な自己犠牲を相手に対して払うと

いうような愛ではない。ちょっと親切にする、とか、優しい言葉をかける、程度のことで

ある。

 それを、ひねくれた人は、素直に受けとれない。「どうせ、下心があるに違いない」と

思うのである。

「他人は、自分に悪いものしかもたらさない」「他人に心を許したら傷つけられるだけ」と

いう世界観ができあがっているので、人のホンネを見抜くことがじょうずになっている。

相手の下心や嫉妬のほうのホンネで、無償の愛や真心ではない。【一部本文引用】

 人と人は、悦びの共感を通して「心の絆」を作る。

 楽しい人づきあいを諦めている。そして、諦めたからこそ、楽しそうにしている夫婦や

カップルを見ると怒りがこみ上げてくる。「あなたたちだけずるい」と思えるのだ。

 親の機嫌をとるために、不本意なことを我慢してやる。それが成果に結びついても、自

分のしていることを誇りに思えない。

「親が嫌い」でありながら、その感情をニセモノ扱いする。親が嫌いだと、親に見捨てら

れることになるから。だから、虐待する親のほうが普通なのだ、と思っている。

「おいしい」「楽しい」という感情は、共感するから増幅される。共感が出来ないひねく

れた人は、高い食事を食べても、普通の人の100分の1程度にしか、おいしさを感じら

れていない。

 子供の頃の食卓が、親が喧嘩していたり、ピリピリした空気だった場合、食事をするこ

とが楽しいことと思えなくなる。摂食障害になったりする。

 共感で悦びを増幅する、という場面がないと、普通の人より高級な物を買うようになる。

買い物で、悦びを得ようとする。だから、お金がたくさん必要になる。

 人と仲良くしてもいい思いをしたことのない人は、人づきあいを軽視してしまう。その

結果、自分が忙しかったとか、そのときイライラしていた、という理由で、相手への対応

を疎かにしても構わない、と考える。【一部本文引用】

 人を尊敬しない人ほど人に尊敬されたい願望がつよい。人に感謝しない人ほど人から感

謝されたいと思っている。ひねくれた人は、自分は人を悪くしか解釈しませんが、人から

は良く解釈してほしいと願っている。【本文引用】

 尊敬されたくてがんばっている自分が尊敬されず、尊敬されたいと思っていないヤツが

尊敬されているのが、理不尽に思える。これだけのことをしてあげているんだから、たく

さん感謝されて当然と思っているのに、相手からの感謝は、期待した量の半分もない。感

謝の心が足りない! と怒る。でも、実際は、感謝されるほどのことをしていないことが

多い。それにまた、恩着せがましい親切に対して心から感謝する人はいない。【本文引用】

 期待したほどの感謝が得られないので、だんだんイジケてくる。世の中が理不尽に見え

てくるから。やがて、人の不幸を笑い、人の幸福に嫉妬する人間になっていく。でも当人

は、意識の表面では、自分は「人の幸福を願い、人の不幸を悲しむ人間だ」と思っている。

助けた相手が自分よりも幸せになると、冷たくするようになる。【本文引用】

 ひねくれた人は、人の悪いところを刺激する。

 これが、先日読んだ『余韻のある~』という本や加藤諦三氏の本などにも書かれている

内容と一致するところだ。

 人の、良いところを刺激する人同士の会話だと、一緒にいれば長時間一緒にいるほど気

分がよくなっていくのだが、人の悪いところを刺激する人と一緒にいると、すぐにも離れ

たくなる。

 類は友を呼ぶ、で、人の悪いところを刺激する人には、同じ傾向の友達が出来て、一緒

に第三者の悪口を言い合う、ということで盛り上がるらしい。

 悦びで、知識が知恵に変わる。悦びがないと、知識は知識のままである。

 ひねくれた人は、親から虐待を受けたとき、「これは、しつけだ」「自分が悪い子だか

らだ」と自分に嘘をつくことで、精神のバランスをとってきていた。だから、自分に嘘を

ついている。だから、ホンモノの愛を受けても、ニセモノの愛、と解釈しなければ、自分

のなかで辻褄が合わない。だから、親切をイヤミととる。

 ひねくれた人は、人に負けたら、自分の存在価値が否定されたような悲しい気分になる。

 だから、自分より優れた人を見ても、素直に「すごい」と認めることができない。

 人と比較して勝つためのネタとしてのプライドがつよい。自分自身に対する誇りではな

い。

 人のすばらしさを素直に認めることができないと、悦びの共感ができなくなる。素直に

相手を褒めれば、相手から自分の知らない情報を教えてもらうことができるのに、それを

止めているので、悦びの世界が広がらない。

 子供が一番愛を感じるのは、親が自分の悦びに共感してくれたとき。そんなことで、子

供は喜ぶ。その共感がないと、子供は親に愛情がないのではないか、と疑いはじめる。自

分が悦んでいるとき、親が嫉妬してきたりすると、もう決定的。

 自分は、親に愛されていないのではないか、と思うけれども、そんなはずはないと思い

直す。そして、愛されている理由を探す。「自分は親に身の回りの世話をしてもらってい

る」「親は自分を育てるためにたくさんお金を使っている」「これこそ、親が自分に愛情

がある証拠だ」と思う。つまり、お金や世話を愛情とみなしてしまう。そうすることで傷

つくことから避けようとする。【本文引用】

 これが、本当は親から愛されていないことを、そうではないと思い込むための言い訳な

のです。それで、何でもない場面でも、普段から相手にプレゼントをする。相手からのプ

レゼントが高額でないと、自分は愛されていない、裏切られたと思う。

 付箋をつけてきたところを、主に紹介してきたわけだが、きりがないので、この辺でま

とめる。

 本編の前半から中盤までは
、「ひねくれた人」というのが、どういう人なのか、を書い

ているのだが、後半になって、当事者が変わっていく方法が書かれていた。

 それは、虐待をするような親を肯定することを止めようということである。

 社会に出る年齢になってからでも、虐待を受けた親でも、親は親で、その親のとった行

動は、内部には良心があったのだ、と思い、一般の人も本心からの親切はしないものだ、

という論理を固まらせて、自分についた嘘を正当化している。

 一般の人の善意や、他人同士の共感を得たいなら、親を肯定することをやめよう、とい

う結論だった。

 虐待をするような親でも、正しいのだ、とするから、自分のなかで論理がおかしくなり、

普通の人の愛を素直に受け容れられない。

 虐待をする親に限ったことではないが、成人したら親から認められることに固執するの

はやめよう、と。

 親からの肯定をとるのか、一般の人からの肯定をとるのか、ということだ。

 虐待をするような親からの離脱をしよう。そんな親とは切ってしまえ、と、論旨として

は書かれている。

 そうすることで、本来の自分のあるべき姿になれる、と。

 感想としては、人間、悦びの共感が出来るから、さらに成長でき、少ないお金でも幸せ

になれるのだと思った。

 幼少の頃に親から虐待を受けたような人は、親から認められようとして、実際は愛され

てもいないのに愛されている、という論理を組み立てる。そのために、自分に嘘をつき、

一般では当たり前の無償の愛を信じることが出来なくなる。

 人の悪いところを刺激する人とは、一秒でも早く離れたくなる。そんな人とはかかわら

ないほうがよい。

 ひねくれた人が、どうしてひねくれているのか、という深層意識構造がわかると納得で

きる。

 本編にあったのだが、人の悪いところを刺激する人と付き合って、人の良いところを刺

激する人とも付き合うということは出来ないそうである。

 ひねくれた人との交友は、素早く切ってしまうべきだということに、あらためて気づか

された。

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コメント

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