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自己憐憫と自己陶酔の大切さ

真夜中ではありませんが、真夜中のつれづれ記です。

昨晩は、投稿した自分の原稿を読み返していました。

プロの作家さんが、多くの方が、エッセイで、「一旦、投稿した作品を、読み返していては駄目だ。そんな事に時間をかけるなら、次の作品を書きなさい」と仰有っているのですが…。

そういう事を言われるという事は、やはり、ご自身も同じことをやった経験があるからでしょう。

読み返してみると、なかなかにレベルの高い原稿。やるじゃん、俺。とか思ってしまいました。同時に、もっと、こう書いていた方がよかったな、とか構成をもっと練るべきだったな、等とも思います。

貴方が怠けているのでない限り、結果の出ない時季には、自己憐憫していいのですよ。

だって、他人が貴方のことを百パーセント分かってくれますか?

もし、ここが足りない、努力が足りない、等と、反省ばかりをして自分を責めていたら、誰が救われるでしょうか。

僕は、ドラマーを目指して多くのバンドと組んだのですが、その時の演奏も、テープに収録したものを聴くと、「なかなか、俺、頑張ってるやん」「客観的にみても、そこそこ行ってるやん」と思っていました。(今では、その当時の録音物は全部なくなってしまいました。昔のメンバー一人ひとりに当たってみると残っていると思いますが…。物の管理が悪いのです。僕は)

但し、ホントの客観眼を養わなければ駄目です。

どう観ても、自分だけが納得しているというレベルでは駄目です。

創作にしろ、演奏にしろ、自分を自分で貶して、そういう心の状態で臨んでは舞台で萎縮してしまいます。

特に、演奏は、「練習のときは、自分がこの世で一番下手だと思え」逆に、「本番のときは、自分が世界で一番上手い、と思え」という教えがあります。

他人からの評価が得られない。しかも、自分は努力していない訳ではない時、存分に自己憐憫してください。

神様に直接愚痴を聞いてもらえる状況にある人は別ですが、そうでない限り、貴方を励まし、慰撫するのは貴方だけなのです。

個人的なことを言うと、ホントに賞の結果が遅いのです。

良い話は早いものだし、やはり落ちたのだろうか。それとも、最終候補作に残って吟味されているのだろうか、と、悩んでいます。

栄光のポジションに就けるまで、焦らずに少しずつ努力しましょう。(自分に言ってるか?(笑))

コメント

  1. 京理義高 より:

    お久しぶりです。
    記事を読んでいて、参考にさせて頂きました。
    常日頃、出来上がった作品に対し、ネガティブになっていたので、
    勇気をもらえたと言っても過言ではありません。

  2. 山雨 乃兎 より:

    >京理義高さん
    お久しぶりです。
    実は、この記事、多分に自分に向けて言っているのですが…。
    賞を狙うのは簡単なことではないという意味のことを車谷長吉さんも三田誠広さんも仰有っています。(特に、僕なんかは生業に就けていない社会的ポジションがないまま投稿をつづけていますから、相当周りの声に振りまわされます。病状を説明しても理解する人は少ないですし)
    短期で一喜一憂するのでなく、書き続けて、忘れた頃に結果が出るものかもしれない、と最近思うようになりました。
    読むことと書くことをつづけていれば、必ず、作品(自作も含めて)を査定する客観眼がついてきます。ただ、書く方は、同じスピードで質が上がっていくという訳ではありませんから、誰でも、書き続けるほど、自作に対して厳しくなっていくようです。
    書く力を落とさない為には、永く書くことを休んでしまっては駄目なのだそうです。
    一作品出来上がったら、一週間か十日ぐらいはのんびりしてくださいね。
    つづけましょうネ。
    また、お寄りくださいね。(^。^)

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