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他人を妬むような人は、何者にもなれない。

【この記事は、特定の人のことに言及しているのではありません。強いて言えば、下記内容に該当する人は、私の知人に3人は居ます。】 

 成功している人を見て、「羨ましい」と思うことはいいことです。

 自分とは落差があるのですから、頑張って、自分も高みを目指そう、という動機になります。

 

 ただ、

他人を妬むような人は、何者にもなれない。

 

 ブログに否定的なコメントがつくことがある。

 そりゃ、知識不足なのに、その事柄の説明をしている記事を見ると、突っ込みたくなる。

 では、なぜ、突っ込みたくなるか。

 その人が目立って、颯爽としているから、妬ましいからである。

 目立ってないブロガーが、間違った蘊蓄を述べていても、「ああ、また、よう解らん奴が、阿呆なこと言うとるわ」で済むのだが、目立っているブロガーに対しては、突っ込みたくなる。というより、恥を掻かせてやりたい、と思うのである。

 理由は妬ましいからである。

 他人を妬む、ということは、自分のなかに何もない証拠である。

 

 ブログはテレビ放送と違って、強制的に見せられる媒体ではない。

 なのに、わざわざブログを訪問して、ブロガーの至らないところをこきおろす。

 

 なぜ、訪問するか?

 実は、リアルでも知り合いだから、「アイツばかりが目立ちやがって」と、普段から妬みの感情を醸造しているから、来るのである。

 しかも、匿名でコメントする。

 

 そんなに、ブロガーの教養のなさが許せないなら、自分のブログをつくって、そこで、その相手のブロガーを批判すればいいのである。

 それが、できない。

 臑に傷があるので、舞台度胸がない。

 

 他人からリスペクトされたいのだけれど、仕事もしてなくて、自慢できるものがひとつもない。

 暇なので、図書館で新聞を隅から隅まで読んでいるので、時事問題の知識は、或る程度ある。

 もう、そこで勝負するしかない。

 これで、アマチュア評論家が一人、出来上がるのである。

 自分で何かをつくることはできない。評論するだけである。

 

 妬み、という感情を持った時点で、そのまえに選択できたであろう自己研鑽を放棄している。

 自己研鑽を積む意志がある人は、妬まないで「羨む(うらやむ)」。自分も、ああ成れたらいいだろうなぁ、という感情だけである。 

 ところが、妬む人は、自分で努力して何者かになろう、とはしないで、他人の目立つのを妬むだけである。

 自分で研鑽を積む、ということは、しんどいのでしない。だから、永久に劣等感を抱えることになる。

 しかも、健康なのに、仕事すらしない。

 だから、家族からもないがしろにされる。

 鬱憤は溜まる一方である。

 

 だから、少しでも会話している相手に勝っている部分が自分にあることを発見すると、急に言葉遣いが変わって、相手を見下す。

 そういう場面でしか、自分が上に立てる場面がないので、必死だ。

 こういう傾向は、無職の人に多い。

 私はこのブログで万年筆の魅力を綴ってきましたが、実は長年、その万年筆を相棒に物語を紡いできた小説家でもあります。

 インクが紙に染み込むように、人の心の奥底にある「光と影」をすくい上げたい——。そんな想いで書き上げたのが、私の代表作『閉鎖病棟』です。

 閉ざされた場所で交錯する、剥き出しの人間模様。 作家として「本当に面白い、価値のあるものを届けたい」という一心で、一文字ずつ丁寧に命を吹き込みました。

 万年筆を愛するあなたなら、きっとこの物語の「手触り」を感じていただけるはずです。

 画面を閉じる前に、ぜひ一度、私の本の世界を覗いてみてください。

真夜中のつれづれ記……
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