今日は、ブログの写真に拘って、何度か撮り直しをして、ゴールデンタイムを過ごしていたんです。
それで、音がなかったら淋しいという事で、TVを点けてまして、いや、正直どういう話しが放送されるのだろう、と興味もあって、『金八先生』を見ていたんですが……。
そういう見方だから詳細には内容を分かってはいないんだけど、今日の話しは、何かクラブ活動でスポーツをやってる男子生徒が主人公で、学外から指導に来ている部長、或いは顧問と衝突するという話しのようでした。
その顧問の男性が、交流試合だか地域戦だかに負けて帰ってきた生徒たちに、「お前らは、次の大会には出さない。お前らなんて、クズだ」と言うんです。
それに腹が立って生徒が顧問に突進していくという展開でしたが……。
僕、こういう場面見てていつも思うのは、その学校がチャンピョンシップ精神でクラブを運営しているのか、教育の一環として精神・情操教育として運営しているのかによって、随分結論は違ってくると思うのですよ。
勝つのが目的でない場合もあるだろうけど、勝つのが目的の場合もあると思うんです。
何も、今の時代、勝ち組負け組という区分けに拘るのがいけない、という風潮になっていますが、大人になって、それなりの生活をするので充分だと考えるなら、別に何か特別に修練したものを持ってなくても、何も軽蔑もされるべきことでもなく、それでいいのですが……。そういう生き方は、心がささくれ立たないし、いい生き方だと思いますが。
初めから、何かに成りたいとか、勝ちたいとか思って始めるなら、自分が客観的に観て実力不足である場合、指導者にキツイことを言われようが、それ位は我慢すべきです。
その場で、指導者にタックルするなどせずに、自分の技術を磨くべきです。
結果が出るまで、頑張るべきです。
有名なサッカー選手とか、プロの歌手とか演奏家などは、人の三倍は努力していますよ。
素質の有る人も、人の何倍も努力していますよ。
ゆっくり、金八先生に心情を聞いてもらって下校しているなんて事では、絶対に駄目です。
金八先生が当該の生徒を連れて、顧問に謝りに行く訳です。
ところが、サッカーをやっている純真な気持ちを貶した、その事に対して、顧問に、「生徒に謝ってください」と言う訳です。
そんな事、絶対に謝る必要はない、と僕は思います。
当該の生徒はサッカーに憧れを抱いているようですが、ここでも結局、プロの選手に成りたいとまで思っているのか否かが、ちょっと判りませんでしたので、僕の考えも提示しにくいのですが。
もし、将来プロになろうとまで思っているなら、「お前たちは、クズだ」ぐらい言われるのが何故辛抱できないんですか。顧問の言葉は、一見人格まで否定しているように見えがちですが、サッカーの力量、上手くなろうとする懸命さが足りない事を非難しているに過ぎないのです。
その辺りが、今日の話しでは、学校がチャンピョンシップを目指しているのかどうかが曖昧でした。
敢えて、五木寛之さんのエッセイに書いてあったことを論じますが、
五木さん、有名な芸術家の女性と対談したときに、日本の建築(或いは美術)のレベルは、なぜもっと上がらないのだろう、というお話しをされていて、(ちょっと正確ではありません。が、僕の記憶を辿ると類似する内容でした。誤りがあったらお許しください)対談相手の女性が、ヨーロッパなどの芸術の場合、仕事をする時に、全行程、(原画から最終的に彫刻作品を作る人に至るまで)全員、一流の人を配備する。だから、仕上がった作品には、決定的な瑕疵などはない、と仰有っていたのです。
五木寛之さんが、それに反論して、「しかし、チームで仕事をする場合、技術の劣る人も混ざってやった方が、意外な視点を得られるかも知れないし、結果として、良い作品が出来るのではないだろうか」と、仰有ってました。
僕は、その対談を読んで、女性芸術家の方の意見の方に賛同しました。
僕は、学生時代、吹奏楽部で三年生のときには、部員一丸となってコンクールでの、より良い成果のために頑張りましたが、コンクールがいよいよ近づいてくると、綺麗な澄んだ音の出せない人は、コンクールの参加から外されます。或いは、全体でフォルテで吹いているとき以外、音を出すな、と言われます。
音楽は、全部の楽器が奏されて、それを聴いて感動するものです。
たとえ、弱い音ででも、濁った音の楽器が混じっていたら、全体が台無しです。
そこで、それを言われて口惜しかったら、個人練習のときに努力するしかありません。
「お前は、邪魔だ! 吹くな!」「家で寝とくこ!?」なんて、言われるのはザラですよ。
勿論、その人に向いていない楽器を選んだ為とか、音楽的素養がなかった場合も有るでしょう。そうであれば、違う分野を目指せばいいのです。
何をやっても才能がないなんて人は居ないと思います。
そういう訳で、今日はドラマを見ていて、自分が学生の頃を思い出しました。
何度もロングトーンの練習をして、先生に、「今や! 今、抜けた(透き通った)音が出てたぞ。その感じを忘れるな!」と、指導していただいてコツを掴んで、音程の揺れない、明るい音が出るようになったのでした。
部長までして、コンクールのときにファースト・パートが吹けたことは、僕にとって栄光でした。
話しがまとまりませんが、今日は、これで終わります。
コメント
xml_xslさん
ナイスを有り難うございます。