まず、「きらっといきる」という障害者の自立支援をする番組だ。
あの、車椅子に乗った障害者の爺さんは何者なのか?
自身が障害者でありながら、障害者のゲストに対して、毎回毎回、憐れむ、さらに蔑むような目線は何なのか?
司会者のジェフ・バークランドもそれを黙認している。
あのオッサンよりもゲストでその都度招かれる障害者の方が、下卑た言い方だがIQは高いのではないか?
あのオッサンの考えでは、精神障害者や知的障害者は劣性な人間だと思っているのだろう。そして、自分は身体の障害だけだから、この人たちよりはマトモだ、という論理が自分のなかに有るのだろう。
例えば、吃音の人を、表現がはっきりしないからと云って馬鹿にするのはどうかしている。文章を書かせれば、吃音の人であっても、一般の人よりも理論的な、場合によっては文学的な文章を書けるものである。
精神障害のある人(僕も含む)は、外に対しては表現が下手かもしれないが、脳のなかでは相当の高次元のことを考えている。
あのオッサンに云いたいのは、自分の分を知れ、という事である。
仮にもTV画面から、侮蔑している感情が伝わってくるのだから、弁解の余地はない。
何で、あんな訳の分からないオッサンに舐められた形で番組を進行するのか?
次に、「いちごいちえ」という番組。(漢字が当て字かも知れないので、その場合正確な漢字を表せないので敢えて平仮名にした)
毎回毎回、何かを目指して修行中の人と、何にも興味がなくなって家に閉じこもりがちな人(全部のパターンではないが)が出てくる。
二十代後半だとか、三十代前半で、何かを目指していて、とりあえずパートぐらいはしてて目指す勉強もしているという人の立場で、無気力になった人を牽引など出来るのか?
刺激を与えるという意味で出てきたとしても、諭す等という立場ではない。
盲人が盲人の手引きをしているようなものだ。
よしんば、それでも、横に並んで自分の場合はこうする位の指導だったらあってもいいが。
人生の先輩とか、その人を教え導くのなら、せめてプレステージを確立した人にやらせるべきだろう。有名であることによって成り立つ業種に限らない。一般の仕事でもだ。
僕の考えだが、……「引きこもっている人を、無理やり外に連れ出す必要はないのですよ。場合によっては、それは悪いことです。しかも連れ出す方が偉い人であるかのような番組の作り方は間違っています。引きこもるには、相当な出来事があったか、それなりの紆余曲折があって引きこもっているのでしょう。それを、同じ歴史を、例えば牽引する側の人間に体験させたら、当人よりも酷い落ちこんだ状況になるかもしれません。引きこもっている人が、自分の生き方が今のままではいけないというのは、ずっと自身で考えていますよ。タイミングの合わないときに、無理やり番組という形で、さあ、何か、やってみましょう、というのはお節介です。その人が、自ら立ち直るときが来ます。それを、時間が許さなくてどうしても云わなければならない場合に云うのは実父の役目です」
次は、あくまでも、僕の感じ方に過ぎないのだが、NHKの昼一時の番組の司会者(毎回、代わる。何人かで交替でしている。が、この場合全員を指す)のゲストに対するものの言い方は何だろうか?
言葉尻を捉えたりして、明らかにゲストを侮辱していないだろうか。理由もないのに。言葉遊びの中に巻き込んでいないだろうか?
まあ、この番組の場合は、アナウンサーの質問が、場を和ませる笑いにも繋がっているので、一概によくない訳ではないが。
おい、しっかりしてくれよ。NHK。
それでなくても、民法の番組には期待できない状況なのに。。。
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