片山恭一さんの、『遠ざかる家』を読みました。
感想は、追記をお待ちください。
追記・感想
歯科医院を開業している主人公。
これまでの人生が、大きな挫折もなく上手くいっていた事がモノローグで語られる。
しかし、主人公は二人の子が巣立とうとする今、妻と別居状態なのである。
妻の父の介護の名目で実家へ帰った妻だったが、いつまで経っても帰ってこず、妻の心が自分
からは離れたがっていることに漸く気づく。かと言って歴とした問題が夫婦間にあった訳ではな
かった。ゆっくりと話しを聞いてやらないという事が、夫婦に徐々に齟齬をもたらしたのだった。
主人公の兄は、心を病んでアルコール依存症になり、治療の為、入院する。
その兄との電話でのやりとりの中で話されるのが、今はない実父が健在だった頃の旧宅の様子
なのだ。キーワード的存在である「ゼラニウムの絵」のことも知らされる。
「明子」という名の姉が主人公たちには居たが夭逝してしまっている。
その理由については、後半になるまで明かされない。
兄から聞く話しのなかで、父にも妹が居て、その名も「明子」で、空襲の折、事故死している
ことを聞かされる。
主人公とその兄の会話、或いは、主人公と姪(兄の娘)との会話、或いは主人公と別居中の妻
との会話で、人生哲学のようなものも自然に語られる。
私も主人公と同じような年代だが、やはり、人生の大半を既に来てしまったなぁ、という感慨
は同様にあり、子や甥や姪の未来のことについて考えたり、自分たちが幼かった頃の記憶がふと
気になったり、ということはある。同感できる。
物語りのなかの主人公の兄は依存症の治療中であり、人生であったこと全てを順番に詳細に思
い出すという治療を受けている。でも、やはり、そんな事をしたら、思い出したくない事まで思
い出すことになり、記憶を変化させて上手く仕舞っておいたものが炙り出されて辛い思いをする。
そういう自己破綻寸前の状態を正常にキープする為に幻覚が現れかけるのだが……。
誰でも幸せなときにはそれと気づかない。
この物語りでも、祖父の代の家族も、父の代の家族も、全員が揃っていた期間というのは少な
い。
家というものが、記憶の鮮明さを失っていく。
文化水準の違いはあるものの、三代の家での営みはどこか似ている。これはガルシア=マルケ
ス『百年の孤独』でも描かれていたことだ。
全編を読んで感じたのは、「寂しい」という感情だった。
全てのものは失われていく。
自分(読者)も例外ではない。
死後の世界という切実な問題も、兄と主人公の間で会話として交わされるのだが、決定的な答
えには行き着かない。
永い年月を生きてきたが故に味わう喪失感、寂寥、悟りに似た気持ち、というものがあるのだ
なぁ、と同感した。
関連記事リンク
コメント
こんばんは。
いつもご訪問 ありがとうございます^^
>全編を読んで感じたのは、「寂しい」という感情だった
書評を見せていただいて『遠ざかる家』 読んでみたくなりました。
題名のも惹かれます。
あまり現代作家は読まないのですが(読めなくなった?)
最近人気の『告白』を読んで こういう時代に自分も生きているのだと
改めて思ったところです。
主人公の兄が、昔の、弟に対してした行動の真意を語る場面があります。隠しておいていいことが、打ち明けずには済まなくなった兄の心境も分かります。人間は誰も罪を抱えているのかも知れません。
『告白』が、どういう内容なのかは知らないのですが、この『遠ざかる家』というのも、重たい過去の告白で終わっています。
余談ですが、この『遠ざかる家』は、村上春樹氏の『1Q84』の前身的な内容だなぁ、と思いました。
また、お寄りくださいね。(^。^)
毎日ブログ拝見しています。毎日更新してもらいたいほど、興味があります。期待しています。 主婦
>sasasaさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)
>タックンさん
お返事コメントにお名前書くの忘れてました。(済みません”)
すぐ次のがお返事ですので。
>ぷぅーさん
コメント有り難うございます。
毎日はなかなか更新できないのですよ。
新記事をお待ちくださいね。^^
遠ざかる家 / 片山 恭一
時間がない時にパッと選んだ本です
表紙の感じから、軽い恋愛話かな?と予想したら・・・
全然違いましたね〜
安っちい恋愛モノは��…