『逃げる中高年、欲望のない若者たち』読了(追記あり)

村上龍さんの、『逃げる中高年、欲望のない若者たち』を読みました。


逃げる中高年、欲望のない若者たち (幻冬舎文庫)

逃げる中高年、欲望のない若者たち (幻冬舎文庫)

  • 作者: 村上 龍
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2014/08/05
  • メディア: 文庫

例によって、感想は追記をお待ちください。

追記・感想

 タイトルの意味(逃げる中高年)(欲望のない若者たち)

逃げる中高年、というのは、高度経済成長期とバブル期を会社員として生きてきて、今

の物作りが駄目になった、物が売れなくなった、景気がわるくなった閉塞した時代に、丁

度定年を迎えて、しっかり退職金などはもらって悠々自適の生活にはいる人たち、のこと

を指している。本文を読んで要約するとそんな感じだった。好い時代を生きて、自分たちだ

け逃げ切った。そういう意味だ。

この本は、村上さんご自身がネット配信トーク『龍言飛語』のなかで言われていたこと

と重複する部分が多い。普段から思われていることが活字になったというところだ。

 誰でも、それなりに暮らせる時代、その問題点

現代は、デフレで、物が安い。

薄給でも、それなりの暮らしが出来る。

【ユニクロの服を着て、ABCマートで買ったスニーカーを履き、ニトリの家具のあるア

パートに住んで、マクドナルドやサイゼリアで食事し、ヤマダ電機で買った薄型テレビと

パソコンで遊ぶ。】【本文引用】

そういう暮らしが誰でも可能な時代。

しかし、こういう社会状況と個人の暮らし方だと、何かが失われるような気がする、と

村上さんは漠然とした危惧を持たれている。

別の本で読んだ内容だったか、この本だったかが分からなくなったが、地方は、どこも

都市化されて、似たような景色になっている。その変化の加速が速く、もはや田舎風情を

感じられる地域が少なくなった、とあった。人間や土地の味わいがなくなっているという

ことだ。

村上さんの危惧は、そういう危惧でもあるのかも知れない。

 なぜ不景気なのか

また、この本からの話ではないが、売り上げが伸びないからコスト削減を打ち出す。そ

の事だけを声高に社内で叫ぶ、ということをしても根本的な解決にはならない。

なぜ、不景気なのか。

それは、人口減少が既に始まっていること、と、高齢化が進んで、生産人口も減ってい

ることが一つめの原因。そして、二つめがデフレです。

そこまで分かったのですが、もっと背景として言えることは、もう、物作りは伸びない、

という時代に入ったということです。(←これは、私の考えに過ぎませんが)

 音楽の変遷、その理由

『レゲトンとサルサ』の項では、キューバン・サルサの現代のバンドの技量に魅了され

たことをお話しになっています。そのキューバの音楽事情に、『レゲトン』という新しい

ジャンルの音楽が台頭してきた、ということも書かれています。この『レゲトン』という

のが、DJとラッパーだけの音楽で、あまり村上さんお好きでないようです。私も多分聴

くとサルサの方がいいと思うでしょうが、時代の変化は個人の好みとは違う方向にも勝手

に進んでいく訳ですね。

「ロックは終わったけれどもビートは残った」というニュアンスのことを言ったのは坂本

龍一だと思う、と紹介され、確かに、ロックもジャズも終わったのだ、という論旨を展開

されます。それは、メロディーの消滅ということ。それは、国民的な悲しみが、どこの国

にも無くなったからである、と言われています。確かに、そうだなぁ、と首肯しました。

私見を挟めば、恋愛の歌やメロディーだけは残っていると思います。それは恋愛が社会の

状況にいくら変化があっても存在しつづけるものだからだと思います。でも、恋愛をテー

マにしたカタルシスを誘う音楽ばかりになるのもつまらないことです。

 若く見られることは、いいことではない

『23歳なんて若くない』の項では、ご自身が20代前半の頃にすでに30代に見られ

ていた、という体験談を出されます。若くみられるのを嬉しがっていてはいけない、とい

う意味のことも言われます。これは、私もよく思うことです。男は歳より若く見られるこ

とは他人から軽く見られているということであり、喜ぶべきことではありません。

村上さんが、なぜ、20代前半の頃に30代に見られていたのかというと、ご自身で、

「思い出したくもない経験を経ていたので、老けていたというより、ずるがしこく、また

したたかに見えたのだ。」と述懐されています。やはり、作家になる人は、核になる辛い

経験を経てきている人が多い。真珠でも組織に傷ができるから生成されるのですね。

 達観している若者

最近の若者に対して、「まるで死人のようだと思った」と書かれています。

龍さんが接するのは、主に出版社の新人。ブランドの腕時計にだけは興味を持ち、その

他のことには殆ど興味を示さない。酒も煙草も恋愛もしない。恋愛は邪魔くさいだけだと

思っている。それに比して、老人は超人のようだと感じる、と、歓談された60代と70

代の大企業の経営者から感じた、と仰有る。自分たちもよく海外に仕事のため行くが、自

分たちがあまり行っていない海外の都市に関して、龍さんにどんどん質問してくる。

若者が「死人のよう」になっている原因について語られる。

幼い頃から「何でも揃っている、不足はない」と社会から刷り込まれてきたから。社会

全体が「何かを外部に求めること、探すこと、出会いたいと思うこと」を放棄していて、

それが彼らに刷り込まれ、伝わっているからだ、と。

確かに、何でも知ろうとすれば、すぐに分かる。電気製品を分解したいとも思わない。

電気製品は、分解しても、今は電子基板しかはいってないですから。それに、お金さえあ

れば、どんな楽しみでも手に入る。すぐに。

だから、彼らは、何でも、「どうせ、それは、こういうことでしょ?」という言い方を

する。私もよく若者と接するとそういう返答を受ける。悟っている達観しているようだか

ら、「死人のような」と形容されたのだと思う。

私も思うのだが、日本の風俗の店に行って、外国人と性交渉を持つのと、海外に行って、

恋愛からはいって、苦心して口説いてから現地で事に及ぶのとはまったく喜びの質が違う

と思う。たとえば、喫茶店のウェイターがどんな仕事をしているのかをインターネットで

調べて業務内容をすべて知っているというのと、実際にお店に雇われて働いたことがある

というのとでは見える世界が違ってくるだろう。

 群れるというのは、異様な状態だ

『犬との散歩でサバイバル』の項では、犬を連れた人たちが十組もだんごになって公園

で喋っていた状況に遭遇して、異常だと思った、と語られている。

本文にも出てくるが私も思うことなのだが、人間は或る程度以上の数の集団になるとグ

ループダイナミクスを持つ。周りに威圧感を与えるようになるのだ。初めから集まるべき

場所に集めるべくして集まっているのは自然なのだが……。

 自殺よりは、セックス

この問題から敷衍して、群れるのは好きになれないが、群れている人たちを単に批判す

るのは間違っているのかも知れない、と思われるようになった、と話が進む。『自殺よ

りはSEX』というエッセイ集を出された。そのタイトルの意味は、自殺するくらいだっ

たら、一時的な快楽でもそれで気持ちが晴れて自殺することをやめられるなら肯定しても

いいんじゃないか、という考え。たとえば、ブランド物のバッグを一つ買うことによって

でも。

ここを読んでいて、最近自分のことも含めて言えること、精神構造の図式とも言えるこ

とがあるのに思い至った。

酒を飲まない日があっても、煙草をまったく吸わなくても精神状態が維持できている人

というのは、現状がそこそこ上手く行っている人で、精神にバロメーターのような針があ

るとしたら、そういう人は普段から、その針が怒りや不満へも大きな喜びへも傾いていな

くて、フラットな位置を指しているのではないか、ということ。そして、大量に飲酒した

り、買い物依存症になったり、セックス依存になっている人は、普段から、怒りや不満の

方へ針が、しかも最悪の死にたい、というレベルの寸前にまで傾いているのではないか、

ということを思った。だから、快楽に一旦身を浸すことによって、一時的に喜びの方へ針

を振って、一日の気分の平均値を調整しているのではないか、ということを思った。これ

は、テレビで発言していた或る傭兵経験者が語っていたことと似ている。すなわち、平時

の精神状態が過酷なのだ。

また、村上龍さんは、上記紹介のエッセイ集のタイトルを、最初『自殺よりは殺人』に

しようと思われたが、やはりそれでは問題だろうと上記タイトルにされたという経緯があ

るようだが、人間がストレスにさらされたとき、とる行動には大きく分けて四つのパター

ンがある、というのを確か高校の倫理社会の教科書で読んだ記憶がある。自分の内に溜め

込む、逃げる、自殺する、が一つ。相手に対して反抗して直接行動を起こす、というのが

一つ、見せかけにせよ同調する、というのが一つ、相手と話し合って建設的な答えを出す、

というのが一つ、とあったと思う。善悪で言うと善いこととは言えないが、反抗して直接

行動を起こすというのも、自分を潰してしまうよりはいいとも言える。精神衛生的には。

あくまでも善悪を除いての答えだが。

 品性のない馬鹿騒ぎは、場所をわきまえるべき

『寂しい勝ち組』の項では、高級料亭で隣りに座ったグループが大声で馬鹿騒ぎをされ

て迷惑した、とう体験を述べられている。

サラリーマンの大手企業の中間管理職で、上司から、「一度、お前たちだけで、あの店

で羽根を伸ばしてこい」みたいなことを言われて来ていたのだと推察されている件のグル

ープだが、人に迷惑をかけているということに鈍感になっているのでは、勝ち組だとして

も駄目だ。使えない。それは、私もまったく同感である。

しかし、村上氏は、一歩ひいて、「こいつらも余裕がないんだな」と思われている。

楽しいことが少ない生活だと、酒の席で馬鹿騒ぎする。前段の話と同じである。

 不遇な若者世代

『逃げ切りの中高年、犠牲になる若者たち』の項では、良い会社に就職することが難し

く、その良い会社にはいっても給料は上がらない、という現代に、若者は損をしている。

場合によっては、上の世代に怨嗟を持っている。と語られている。

【20代前半で仕事に就いて、20代後半で結婚し、子どもを作り、30代になって新居

を構える、というのは贅沢でも何でもない。】【本文引用】これぐらいのことが日本で出

来ない時代にはいっている。かといって、どうしたらよいか、という提案も出来ない、と

村上氏は仰有る。

あまり、本編を紹介しすぎてもいけないので、この辺で筆をおくことにする。

 感想 まとめ

全体を通して、村上氏が一番仰有りたいことは、「欲望」が社会全体の景気を盛況にす

る原動力である、だから、全国民のすべての層で、欲望が存在した方がいいし、増えてい

った方がいい、という意味のことだと思う。

生活のために、やりたくない仕事を我慢しながら延々とつづける。しかも、仕事で得た

金で特に買いたいものもない。新しい商品を開発しよう、とか、そういう動機も、自分に

も見返りがあるから出てくるのであって、欲望がないと、社会も個人も「退廃」に向かっ

ていく。

そんなことを仰有りたかったのではないか、と思う。

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コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >ビター・スイートさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)
    書評は、少しお待ちくださいね。

  2. 山雨 乃兎 より:

    >thisisajnさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

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