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逃げない解決。

 私の場合の、二回の家出に限っては、「逃げる解決」である。

 上司から、日々の業務から逃げたい、そういう気持ちがあって、他にも動機はあったけれどもその動機が中軸となって「逃げた」家出だったのである。

 家族と馬が合わない、という事は誰にでもあると思う。特に嫁・姑の問題は一筋縄ではいかない。

 職場での人間関係も、長く同じ部署に居ると、どうしても煙たい人が出てくる。

 二回目の家出のとき、家出先で出会った人に、「それなら、君が逃げる必要はなかったやん。相手を追い出せばよかったのに」と言われたが……。

 気の弱いA型には、それが出来ないのである。

 結果的に、「逃げる」のも一つの解決の形ではあるが、すぐ下の実弟によると、職場を無断欠勤して自分に分がわるかっても、押してでも出勤すれば必ずなんとかなっていくものだ、と諫められたことがあった。

 そういう意味で、元首相の阿倍さんは偉いと思う。

 自分の体調不良が原因だったのに、それを公にする訳にもいかず、けれども、きちんと国民に辞意を表明して、次の内閣の土台が出来るまでは引き継ぎをされた。

「そんなの当たり前でしょ?」と言っても、これが、自分が精神的にもダメージを負っているときには簡単に実行できることではない。しかも、阿倍さんの場合は酷い下痢があったのだから。

 阿倍さんの辞任の様子を、「僕、やめちゃった内閣」などと批判していた当時野党の議員が居たが、お前なんぞには、総理大臣をやって実際にプレッシャーにさらされる我慢など到底できないだろう。

 イエスが磔刑に処されてすぐ、復活の霊体のキリストは、弟子たちに或るところで父からの聖霊を受けるために待っているように、と諭されます。でも、信奉してきたイエスは既に処刑されていて、世論もイエスに罪ありに大きく傾いていたときです。そんなときに、その地に戻るのは弟子たちにとっては、世間のさらし者になってくれ、或いはイエスと同罪だとされて自分も処刑されるかも知れないことでした。

 ですが、自分がどうなるか分からないのに弟子たちは戻っていくのです。

 これは、困難な状況に敢えて、その場に戻って解決する、ということの大切さを説いている箇所です。

 簡単ではありません。

 私の場合も、男40をすぎたのだから、そろそろ「逃げる」解決策は無くそうと思っている。

 どんなに辛くても、その場で踏みとどまって継続するだけで、環境の方が変化してきてくれるのだから。それを待てばよいのである。

 しかし、敢えて言うが、「逃げる」という選択肢も、私は否定しない。

 耐え難い環境、というのが、誰にでも一律には言えないからだ。個人個人によって耐性が違うのだ。

「逃げる」というのは、エネルギーの残っているうちに、新しい、それまでのわだかまりのない環境に遷ることでもあるから。

コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >ビター・スイートさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

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