評価のプロが、居てもいいのではないか。

 先日、『はぐれ刑事純情派のテーマ』の動画に、コメントしてきました。
「まだ、被せる音源の音にまぎれて上手くみせているだけです。今度は、音源を被せないで吹いてみてください」
 と。
 演奏が、不完全だと批評したわけです。
 専門家でもないし、自身もトランペットから離れて久しいから大した演奏も出来ないのにです。
 感想を言う側は、それを実行できなくてもいいと思うのです。
 僕も小説を書いていますが、批判する相手が、僕と同レベルか凌駕する作品を書いてからでないと批判してはいけない、ということはないと思うのです。
 聞き手として耳が肥えていたら、批判してもいいと思うのです。
 以前、ダウンタウンのご両人が漫才コンテストで、自分の芸を披露したときに、審査員として入っていた藤本義一氏に対して、「ご自分では漫才すらやられたことがないのでしょう。貴方は、漫才のことを批評するより小説を書いていればいいのです」とダウンタウンが言ったらしいのですが、
 批評は、それが出来る人だけが出来るのでしょうか。
 そんなこと言ったら、編集者は、マトモな小説が書けない人がほとんどです。
 審査する目が肥えてきたら、それで批判してもいいのです。
 今回、『はぐれ刑事純情派のテーマ』で批判しましたが、僕自身まだ上手く吹けません。
 力量が分かるという場合と、自分が演奏できる、ということは別分野です。
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