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集団登校という異常

 児童たちを慰めるために、または、励ますために、

集団登校の児童を、校内で待ち受け、「ラジオ体操」の歌を歌った、として、善行のようにシンガーソングライターの行動が取り上げられているが、

これは、異様だ。

  子供は、大人に怒られることによって、「そうか、もっと、こうしたほうがいいのか」と、だんだんモラルを覚えていく。

 今は、大人の側が、子供をお迎えするモードになってしまっていて、そういう集団登校を見守る行動をとられた子供たちも、「そうか、そんなに、僕たちによくしてくれるなら、もっと、してよ」という気持ちになっている。

 教育の主客がなくなってしまっているのだ。

 町の一般の人が児童たちに声をかけると、不審者扱いで、

お膳立てしたシンガーソングライターの行動だと褒められるわけである。

 集団登校自体も、呼びかけて実践しているのが現在の状況だが、

昔は、上級生が下級生を従えて登校していたのである。(集団登校を呼びかけなくても、自然に、集団登校になっていたのである)

 上下級生のつながりが希薄になっているから、わざわざ集団登校という方式をつくらなくてはならない。

 昔は、六年生を筆頭に、地域の子供全部が、誘われて、全部一緒に、登校したものである。

 変な事件への抑止力にも、自然発生的に上級生が下級生を誘って通学する方法だと、充分に効果があるだろう。

 個主義の、自分の子供だけが可愛い、という親が増えてきたから、集団登校は消えたのだ。親同士の妬み意識もある。

 小さな地域が、横に繋がらない。これはよくない。

 また、赤の他人に応対しないようにしよう、と、子供に教えるのも、間違っている。

 多くのマジョリティーの社会人の目があるから、子供は自動的に守られていたのだ。

 私はこのブログで万年筆の魅力を綴ってきましたが、実は長年、その万年筆を相棒に物語を紡いできた小説家でもあります。

 インクが紙に染み込むように、人の心の奥底にある「光と影」をすくい上げたい——。そんな想いで書き上げたのが、私の代表作『閉鎖病棟』です。

 閉ざされた場所で交錯する、剥き出しの人間模様。 作家として「本当に面白い、価値のあるものを届けたい」という一心で、一文字ずつ丁寧に命を吹き込みました。

 万年筆を愛するあなたなら、きっとこの物語の「手触り」を感じていただけるはずです。

 画面を閉じる前に、ぜひ一度、私の本の世界を覗いてみてください。

真夜中のつれづれ記……
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コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >ゆきママさん
    >ビター・スイートさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

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