児童たちを慰めるために、または、励ますために、
集団登校の児童を、校内で待ち受け、「ラジオ体操」の歌を歌った、として、善行のようにシンガーソングライターの行動が取り上げられているが、
これは、異様だ。
子供は、大人に怒られることによって、「そうか、もっと、こうしたほうがいいのか」と、だんだんモラルを覚えていく。
今は、大人の側が、子供をお迎えするモードになってしまっていて、そういう集団登校を見守る行動をとられた子供たちも、「そうか、そんなに、僕たちによくしてくれるなら、もっと、してよ」という気持ちになっている。
教育の主客がなくなってしまっているのだ。
町の一般の人が児童たちに声をかけると、不審者扱いで、
お膳立てしたシンガーソングライターの行動だと褒められるわけである。
集団登校自体も、呼びかけて実践しているのが現在の状況だが、
昔は、上級生が下級生を従えて登校していたのである。(集団登校を呼びかけなくても、自然に、集団登校になっていたのである)
上下級生のつながりが希薄になっているから、わざわざ集団登校という方式をつくらなくてはならない。
昔は、六年生を筆頭に、地域の子供全部が、誘われて、全部一緒に、登校したものである。
変な事件への抑止力にも、自然発生的に上級生が下級生を誘って通学する方法だと、充分に効果があるだろう。
個主義の、自分の子供だけが可愛い、という親が増えてきたから、集団登校は消えたのだ。親同士の妬み意識もある。
小さな地域が、横に繋がらない。これはよくない。
また、赤の他人に応対しないようにしよう、と、子供に教えるのも、間違っている。
多くのマジョリティーの社会人の目があるから、子供は自動的に守られていたのだ。
コメント
>ゆきママさん
>ビター・スイートさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)