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もっと雑多な人間関係のなかで揉まれないと駄目だ。

【訂正および陳謝:合唱コンクールのエピソードならびに、主人公が女子にプールに誘われる場面は、主人公が中学生の頃の出来事であると、後で再視聴して知りました。お詫びしておきます。】 

 Gyao放送の、『beck』というアニメを見ているのだが、

やはり、ここにも少子高齢化の状態が反映されている。

 悩むこと一つをとってみても、もっと多くの種類の人に相談できると進展が早い。

 余談かも知れないが、主人公が先輩から預かっているギターを、自分が気分がウキッとしたことがあって、両手を放し、その結果横断歩道の欄干の上にギターは降り、その後道路に落ちて車に轢かれてしまう、というシーンでは、

主人公の楽器に対する愛着心のなさに驚く。

 楽器が、いったい幾らの値段するのか。

 音楽を愛する者だったら、決して楽器を粗末にはできない筈。

 ケースに入れて持ち歩かない時点で×である。

 

 それから、この漫画を見ていて思うのだが、町内会程度の演奏会に出演して、その後、同じ軽音楽を進む道と普段から思っている女子が、小学校のプールに誘うのだが、主人公、全裸になって泳ぐ彼女の意図を理解しない。

 性交してほしいに決まっているのである。

 そこまで、アタシは貴方のことが好きだよ、と間接的に言っているのである。

 そんな事も、主人公は気づかない。

 雑多な年代同士の交流が少なくなった。そう成らざるを得ない時代だけれども、

もう一つ言えることは、同年代の数も少ないのである。(現在の小・中・高校生)には。

 これでは、世間に出れん。

 一応、見た漫画のアドレスは、こちら→ http://gyao.yahoo.co.jp/p/00198/v08667/

 教師の悲哀と情けなさ、も感じる。

 新任の音楽担当の教師が、「みんなも、私のこと、気楽に、モモちゃんって呼んでね」というような挨拶をする時点で、ペケである。生徒に舐めさせる要素をつくっているのである。

 私は、教壇を廃止した今の教育方針に決して首肯しない。

 合唱コンクールに、一般の生徒を、その気にならせて出場させよう、という事も、考えなくてもいいことである。小・中学校なら一般の生徒にも義務感はあるが、高校生がその気にならなくても当たり前である。

 作者は、何を言いたいのか?

 高校の時期に、クラス対抗の合唱コンクールなど、成立しない。

 高校生は、もっと自分の得意の分野にだけのめり込む筈である。

 はっきり言って、学校だけで、子供を大人にまで教育することは、今の風潮ではできない。

 教師など、全員、荷が重いからという理由でやめてしまえばよい、と思う。

 その上で、育てられる場所がなくなった子供が、自ら他人に教えを請うてくるまで待てばよいと思う。

 さらに言うとすれば、このドラマの主人公附近の年代設定は何なのか?

 どうみても高校生である。

 高校生の年代にもなっていて、どうして自分の好きにやりたい、と思うことがあればバイトでも何でもしないのか。

 他人に憧れるなら、自分もその基盤を築けばいいのである。

 しかも、主人公たちは高校生である。

 今の時代、大学まで親の金で出してもらえる、と思っているところがまず、おかしい。

 義務教育は終えたのだから、親の年代に反撥する気持ちがあるなら、さっさと自立しろ。

 高校は、親の金で行かしてもらっているのだ、という概念がまったくない。

 親に我慢してもらってでも、学問を身につけたいなら、我慢するしかない。

 はっきり言って、私の年代以下の年代の人には、道徳が、どう大切なのかも分かっていない。

 そんな年代が、今や一人の子の親になっているのである。

 既婚で親でなくてよかった、とつくづく思う。

コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >ビター・スイートさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

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