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西村賢太 著『苦役列車』読了(追記あり)

西村賢太さんの、『苦役列車』を読みました。


苦役列車

苦役列車

  • 作者: 西村賢太
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/07/01
  • メディア: Kindle版

例によって、感想は追記をお待ちください。

追記・感想

『苦役列車』というタイトル。

別に列車に乗っている描写などはない。比喩なのだろう。苦役を毎日して生活していく

しかない、まるで人生が列車の軌道のように外れることが出来ない苦しい、そういう日々

のこと。

西村賢太さんは私小説家なので、作品にはご自身を投影されている。

今回の作品で初めて、西村氏の、どうしてそのようにしか生きられなかったのかの理由

が分かった。お父様が性的暴行事件を起こして、加害者家族として逃げる(世間に隠れる)

生活をしなければならなかった事実が、今回の本編には出てくる。(注意書きしておくのが
遅れたが、この件は現実にあった事実であるかどうかは定かではない。ご本人の名誉の
ために付記しておく)

高校へ行かなかった理由については、他の著作で、勉強があまり好きではなく集中して

勉強する忍耐もなかったという意味のことも述べられている。

しかし、家を飛び出し、独りになっていざ就職口を探すとなると、中卒では間口がない

ことを思い知る。

そんななか、求人雑誌で見つけた学歴を問われない仕事に行ってみる。

それは、沖仲仕の仕事であった。

バスで送迎してもらって昼食弁当つきの仕事だが、やはり、とてつもなくきつい(過酷

な)肉体労働である。

主人公は、その日の日当を得たら二日休みをとって、その日当分を使い果たす。そして、

また仕事に行く、という生活を送る。(毎日出勤する義務はない仕事なのだ。前日に申請

しておかなければ休むことも出来る)

女も居ない。仕事仲間にさえ話し相手も居ない主人公だったが、ある日専門学校に通う

一時的にこの仕事に来ている青年と昼食弁当をともにする。

家族の経歴のせいで劣等感を持っていて、しかも自身の元々の陰性の性格から、どうせ

自分なんか、と誰とも距離を置いていた主人公だったが、話し相手が出来て嬉しい。

私は、こういう主人公の内面の性格の把握の描写を読んで思うのだが、本編中全体の

主人公の動向を見ていても、そんなに卑下するような性格ではないと思う。自分の周りの

環境と自分の歴史が一時的に、他人とは距離を置くべきだと思い込ませているだけで、

内面の核が荒んでいるとは思えないのだが。(誰でも、これだけのことがあれば外側の

性格は変わって仕方ないのではないか、と思える)

その青年は、年齢的には奇遇にも同級生だった。このことが余計親近感を増す。

この青年との交遊が語られる。

この描写が細かい。

実に心内を表現している。

この作品(本のなかの中編二作)を読んで思ったことだが、やはり藤澤清造氏を尊敬し

てその原稿を本にして出版することをライフワークにしている著者だけに、文体がしっか

りしていて、しかも普段話し言葉では使わないような熟語や言い回しが多数出てくる。作

家特有のアテ読みの熟語も出てくる。かなり近代文学を読み込んでいるな、と思った。

ご著作を読んで毎回思うことなのだが、西村賢太氏は、作品中の主人公のことが事実だ

とすると、一日に百本煙草を喫ったり、他人の幸福を妬んだり、有り金は全部消費してし

まったり、女性に手をあげてしまったり、と決してその素行は褒められたものではないが、

ご本人、自身の欠点をしっかり客観的に把握していらっしゃる。そのことが本編を読めば

分かる。

収録作中、二作目の『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』は、現在の作家としての西村氏

の日常を切りとったような作品。

ぎっくり腰で動けなくなった不自由を描かれている。

自身の筆力に対しての矜恃。上辺では賞にはこだわらないと思いながら、やっぱり賞(ノ

ミネートの賞)を欲しいという正直な気持ちなどが描かれている。

生活そのものを描かれているのでディテールがある。

決して褒められたものではない生活をしながらも、書きつづけ、今や芥川賞も受賞し文

壇に確固たる地位を築いた西村氏の研鑽は、賞賛に価すると思う。

・西村賢太氏の他の著作の感想→  『どうで死ぬ身の一踊り』  『小銭をかぞえる』

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コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >ビター・スイートさん
    ナイスを有り難うございます。
    書評、少しお待ちくださいね。(^。^)

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