JEAN-PAUL・SARTREの、『嘔吐』を読みました。
例によって、感想は、追記をお待ちください。
追記・感想
厳粛な場でも、周りが驚くような奇異な行動をとってみたい。
漫画家の蛭子能収さんが、普段から仰有っているような動機が浮かぶ。そのことを著者
サルトルは言っています。
物事の何に価値があるのか。
退役軍人として、恩給をもらって、退職金ももらって悠々自適に過ごせるはずの主人公。
それなのに、昔の恋人と逢っても、恋愛の理論を出され、まず、お互いに理論的に納得
していなくては、まぐわいもすべきでない、と断る元恋人。
レストランで食事を摂っていても、みんな、社会的立場を披見しあうだけの見せかけの
社交をしている。
こんな人付き合いなら止めてしまいたい。
そう思う主人公。
後半では、図書館の常連の客が、図書館で少年に淫らな行為をしているところを目撃す
る。
それに、反発する周りの人たちだが、人が、どういう生き方をしようと放っておけばい
いのではないか、と、青年を糾弾した男に反発してしまう。
倫理道徳よりも、人間に一番重要なのは、存在を肯定する、ということではないのか。
と。
社交のなかで、反吐が出る。見せかけの社交の場で、自身を虚構で飾っている人たちば
かりの、そんな社交場に、「吐き気」を催す。
倫理道徳よりも、人間が重要にすべきは、実存、存在なのだ、と寓意で語っている。
著者サルトルの姿を重ね合わせ、退役軍人として、充分な残りの人生の生活費を確保し
たうえで、小説創作などの日々を送ろうと思う。
そんな立場になってから見えてくることは、周りの人間は、他人にどう思われるかばか
りを気にした生き方しかしていない、ということだった。
元・恋人にも、再会したとき、主人公が一番望んでいたのは、空虚な自身の中身を埋め
るセックスや愛撫だったのだが、恋人は、屁理屈をこねて、なかなか、それに応じてくれ
ない。
道徳が大事、或いは、世間体が大事、ということではなく、実存・存在が大事なのだ。
その欲求を第一に満たすことが大事なのだ、という帰結だった。
執筆当時の、他の哲学者の名やイデオロギーも、登場人物名として出てきて、ストーリーのなかで暗に批判しています。
発表当時は、物議を醸した作品だったのでしょう。