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『歴史を変えた日本の合戦 桶狭間の合戦』読了(追記あり)

桶狭間の合戦: 歴史を変えた日本の合戦 (日本の歴史 コミック版 7)

桶狭間の合戦: 歴史を変えた日本の合戦 (日本の歴史 コミック版 7)

  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2008/01/01
  • メディア: 単行本

 ポプラ社の漫画、コミック版 日本の歴史⑦ 『歴史を変えた日本の合戦 桶狭間の合戦』を読みました。
 例によって、感想は追記をお待ちください。

   追記・要約・感想

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 やはり漫画だと、概略を理解しやすい

 漫画で読むと、全体像を理解しやすいですね。
 キャラクターの風貌が描き分けられているので、愛着が湧きます。
 後半に掲載されている、解説・豆知識というコラム・桶狭間の合戦関連年表があることで、さらに理解が深くなります。

 構造は、そんなに複雑ではない。

 当時、今川義元が東海一の太守だった。同じ頃、ようやく尾張を統一した織田信長。両者、東へ西へと領土拡大のため激突する合戦。

 一番面白い展開

 織田信長は、駿府へ木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)を潜入させる。
 木下藤吉郎は、鳴海城の山口教継が今川義元が尾張に攻め入ったときにふたたび寝返って信長と力を会わせて今川を挟み撃ちにする算段だ、という噂を茶屋でこぼす。
 それを今川方の間者が聞いていて、義元に報せる。
 その内容を真に受けた義元は、教継を駿府に呼びつけ殺してしまう。

 これで信長は、今川勢と戦うとき山口教継からの脅威は無くなったわけですね。
 見事な謀略戦です。
 義元は、気が短いのかな。元公家だから短気なのかと思ったが、義元は始めから武士の家系らしい。
 それにしても、教継からゆっくり事情を聞いて真実を理解して処分していなければ、桶狭間の合戦での戦況も変わっていたかもだし、そもそも教継が加勢していれば、戦いの場も桶狭間ではなくなっていたかも、と思いました。

 信長の、家臣に反対させる時間を与えない、急な出陣。そして、三々五々、信長の後を追って出陣する家臣たちの忠誠心。

 兵力(兵士の数)の圧倒的な差。こういう場合、自陣の城に籠城して持久戦とするのがセオリーだった。
 だが、兵士の数が圧倒的に多い今川勢に籠城で持ちこたえても、いずれ破られてしまう。そこで、信長は野戦に打って出るのだが、信長は、その出陣を突然実行した。
 そして、今川義元が兵を分けて進軍させ、義元の陣が少数になるときを狙っていたのだろう。鷲津・丸根の両砦を落とした今川義元は、慢心して桶狭間で休息を取っていた。
 信長は、このタイミングを狙った。(義元についている兵の数が少ないから)

 ChatGPTに、私が書いた文章の間違っている点を指摘してもらいました

この文章には、桶狭間の合戦に関するいくつかの事実と仮定が含まれていますが、以下の点において修正が必要です。

  1. 木下藤吉郎(豊臣秀吉)の役割:
    • 桶狭間の戦いの時点で、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)はまだそれほど重要な役割を持っていませんでした。彼が織田信長のために今川方への工作を行ったという記録はありません。豊臣秀吉が目立った活動を始めるのは、後の時期です。
  2. 山口教継の記述:
    • 山口教継は実在の人物ですが、彼が桶狭間の戦いでどのような役割を果たしたかは不明確です。教継が謀略に関与した、あるいは今川義元によって殺されたという具体的な記録は存在していません。この部分は歴史的に確認できない仮定です。
  3. 今川義元の性格描写:
    • 今川義元が「気が短い」という評価は、具体的な史実に基づくものではありません。彼は公家出身ではなく、武士の家系であり、文化的にも教養があったとされています。「短気だから山口教継を処刑した」という説明は、史実とは異なります。
  4. 桶狭間の戦いの戦術:
    • 信長が籠城ではなく野戦を選んだのは、籠城しても今川義元の大軍に対抗できなかったためです。信長は奇襲を決意し、桶狭間で義元の本陣を急襲しました。この戦術は、彼が義元の位置と状況をうまく利用したものであり、「義元が少数の兵と休息していた」という部分は事実に沿っています。

以上の点を踏まえると、文章の歴史的正確性を高めるためには、木下藤吉郎や山口教継の関与についての記述を見直し、今川義元の性格に関する記述を修正する必要があります。また、桶狭間の戦いにおける信長の決断と戦術の背景を強調することが重要です。

 まとめ・感想

 やはり、戦いには戦略が必要だと思った。
 解説にも書かれているが、今川義元の敗因には、慢心もある。その後の本能寺の変での信長の敗因にも慢心があったと。
 現代人にも言えることだが、現在の自分の状況を客観的に認識しておくことが重要だと思いました。
 信長の動きが義元には細かく報告されていかなったのは、信長が領民の信頼を得て敵方に密告する者が居なかったからと、解説に書かれていました。家臣や領民には、大うつけ者と呼ばれていた信長だが、実際は家臣や領民に好かれる(心遣いのできる)武士だったということでしょう。
 現代社会の人間関係にも言えることですが、隠密行動も大事だと思いました。物事を成し遂げるには、時期が来るまで隠すことは隠すのが大事です。
 もっと平たいことで言えば、「この人には、ここまで、で、これ以上は言わないでおこう」という言動の仕方が大事です。
 戦国時代全体の年表を時系列で知る、ということも大事だと思いました。それも併行して学んでいこうと思います。
 ネットで調べて印刷して読んでみる。新書や歴史書を読んでみる。そして、漫画で概略をつかむ。
 現代は、色んな学び方があるので便利ですね。

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