最近、読んだ本

 長いこと書評を挙げずでした。

 書評の文章をかくのが億劫だというのも理由としてあります。

 最近、読んだ本は、


キリスト教を問いなおす (ちくま新書)

キリスト教を問いなおす (ちくま新書)

 以上です。

 フロイト入門のマンガは、本当に分かりやすくて勉強になりました。

 フロイトが、リビドーにこだわって論文で発表することに悪意・他意はないのが分かりました。

 奥さんの助言も大変、フロイトを励ましています。

 『作家になるには』なんて、あまり読むべきでない本なのですが、ついつい秘訣があるなら教えてくれ、という気持ちで手に取りました。

 ちょっと脱線するのですが、公募ガイドの小説作法指南のような記事に、よく、描写が書けていないと、と、口を酸っぱくする位、ここ数年或る作家の方が方法論を書いていらっしゃるのですが…。

 たとえば、誰々が怒った、と書いたら描写じゃない、とか書かれていますが。

 長編で文学の、例えば、G・ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』では、誰々がどうなった、という表現だけで数ページ行っています。

 怒ったと書いたら、描写じゃなくて説明だ、と決めてかかるのは可笑しいと僕は思います。

 描写と説明の違いは、どこに有るのか。

 中過去や大過去のことを取りあげる場合、怒った、とか、寂しかった、とかいうのも、充分な描写です。

 なんか、あの『公募ガイド』に書いてあることを踏まえていたら、身が縮こまって、書ける文章も書けなくなるような気がします。

 G・ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』とか『百年の孤独』では、誰がどうした、という事を何度も何度も書いて、それだけで紙面をとっています。

 

 桜庭さんの直木賞受賞作に関しては、オール読み物の掲載分だけを読みました。

 浅田次郎さんと対談されていて、小説家というのは、バイタリティーと体力が大事だけれども、核となる記憶や体験(トラウマとなるような)が、元になって書ける人物でありうるのだと思う、と、お二人とも話しが合っていました。

 劇団ひとりさんの、『陰日向に咲く』は、本当に、この人が書いたのか信じられない、というのが、正直な僕の感想です。そんなの、確かめようもないので、本当に劇団ひとりさんが書かれたのならば、凄い才能の持ち主だと褒めるしかありません。

 なぜ、そんな風に考えるのかと言えば、文章が、ひっかからない文章に仕上がっている、そして、短編それぞれが、他の短編とキーワードを通じてリンクしているという点です。

 ひっからない文章というのは、何度も推敲した文章であるということです。

コメント

  1. sakamono より:

    『陰日向に咲く』は自分も興味を持っていて未読です。最初、さほど興味はなかったのですが、これだけ売れるのだから、おもしろいのかなぁ、と次第に興味が湧いてきたというところです^^。それでも古本屋で安く買おうと思っています^^;。

  2. 山雨 乃兎 より:

    >sakamonoさん
    劇団ひとりさんの『陰日向に咲く』は、プロのような文章でしたよ。
    勿論、劇団ひとりさんが、今までから、ネタを考えたり文学的傾向にあったりというのは事実のようですが。
    食しがいのある中身を持った作品でした。

  3. 山雨 乃兎 より:

    >nokanokaさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

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