石山勲(いしやま・いさお)さんの、『精神保健・医療・福祉の正しい理解のために』を読みました。
追記・感想
統合失調症は、軽度のうちに精神科を受診すると寛解率も高まる
30歳前後で発症するケースが多い統合失調症。発病後、慢性化すると治りにくい。
この本を読んでいて気づかされたことは、発病後、軽度のうちに精神科を受診すると寛
解率も高まる、ということだ。
誰でも、自分は精神病ではない、と思いたい。だから受診が遅くなる。病気が進むと治
る率は下がる。
石山氏は、自分の体験をなぞりながら、この疾病とのつきあい方、病院・医療に改善し
てほしいところを具体的に説明される。
また、患者自身の心の持ち方、患者を精神面でも生活面でもサポートする制度、などに
ついても、紹介、言及されている。
マスコミ報道の問題点
偏見を助長するマスコミ報道への疑問、として、凶悪事件のときにマスコミが付け足す
「精神病院に通院していた」という文言は、要らないのではないか、とされる。
語られるべきは、精神病が重度にならないためにはどうすればよいのか、である。凶悪
事件が起こらないようにするには、どうすればよいか、である。
精神病患者が事件を起こす確率よりも、一般の人が事件を起こす確率のほうが、はるか
に高いのである。
また、「精神病院通院歴=犯罪者」という偏見を植えつけてしまう報道があることによ
って、「最近、自分は、どこか何かがおかしい」と精神疾患を疑っている人や精神医療の
受診の必要性を肌で感じている人々の、精神科受診への行動を妨げてしまう、ということ
がある。
石山氏の予兆から発病の経緯
石山さんは、ご自身の発病時をふり返りながら、「自分のキャパシティーを超えた仕事
量を引き受けていたことと不眠が重なったこと」が、発病の原因のひとつである、と自己分
析される。
ーーー通常なら、疲れれば、ある程度の睡眠や休息で体調は元に戻ってきます。しかし、
本当に疲れすぎてしまうと、人間は「過度の不眠」を引き起こすのかもしれません。【本
文引用】
個別に診察が行き届かない現状
医療法で定められたスタッフの人数。一般病院の場合、患者16名に対して医師が一名
必要であるのに対し、精神科の場合は、「患者48名に対して医師が一名」配置されてい
ればいい」という医療体制になっている。人手が少ないわけだから、普通に考えても、医療
水準や看護水準の低下は否めない。
相槌を打つだけの、もともとおとなしい大多数の患者さんが、黙ったままでいると、「変
わりないですか」「よく眠れていますか」「では、前回と同じ薬をお出ししておきますね」
という短時間の診察で終わってしまう。こういうことで、患者が、現状以上の状態に回復
できるのだろうか、と問題提起される。
統合失調症の幻覚のイメージ
「統合失調症の幻覚のイメージ」として、幻覚・幻聴によって本人が信じ込んだ論理の
飛躍を何度か経るうちに、A=B(現実)が、A=Zという、ありえない認識にまで至る。だ
から、「私は、天皇です」などということを口にするようになる。当事者にとっては、論
理の飛躍はない。A=Bから、幻聴・幻覚によって、B=C、C=Dと何段階も誤った認識を繰
り返し、A=Zということを口にする。周りの者にとっては、いきなり、A=Zという認識
だけを聞かされる。実は、途中に、幻聴・幻覚による誤った認識が隠れているのだ。
また、幻聴・幻覚も、本人にしてみたら、幻聴・幻覚ではない。実際に見えているのだ
から。
石山氏のご自身も含めた統合失調症への認識と、統合失調症患者への社会の見方
まったく共感した部分があったので、長文を抜粋・掲載する。
繰り返しになりますが、精神障害者の多くは、もともとおとなしくて真面目な人です。
しかも、発病中でも、すべてが病的ではなく、健康な部分も数多くあります。
また、精神障害者の犯罪率は、健常者の犯罪率より低いのですが、精神障害者が起こし
てしまった不幸な事件は、マスコミで取り上げられる際には、前述したように幻覚などで
「当事者なりの独自の心理的内部の論理」が見えにくいため、社会一般に「何をするか判
らない危険な人」とされてしまっているように思います。【本文引用】
精神科医との相性の項では、同じ医師に診察を受けていても、或る患者にとっては、と
ても良い精神科医という印象が、別の或る患者には、とんでもない医師、という印象にな
ることがある、と書かれていた。
回復過程での重要なポイントに、「医師の治療方針と患者さんの期待が一致」すること
が、最も望ましい、ということがある。しかし、現実には、なかなか難しいことが多い、
と書かれている。
たしかに、「ゆっくりと、病気とつき合いながら、徐々に治していこう」と思っている
患者と、「出来うることは、すべて早期に実践させて、早く回復させよう」としている医
師とでは、噛み合わない。
背伸びさせてでも、何度でも就労への動きに出させるのか、就労は、もっと回復してか
らのこととして、今できる趣味や身の回りのことをさせるのか、という治療方針、患者が
取ろうとしている行動、に差異があると、診察が不満だらけになってしまう。
健康だから働けるのか、無理にでも働くから健康になれるのか、という命題のようなも
のだ。
精神疾患は、心の病気ではなく、脳の神経伝達物質の異常だ
さらに、まったく共感した部分があったので、抜粋・掲載する。
精神疾患は、イメージをやわらかくするためか、よく「心の病」という表現で呼ばれて
います。しかし、私的には、この表現は好きではありません。何故なら、時折、病気だと
自分で感じることはありますが、「自分の心」までが病んでいるとは思っていませんし、
むしろ私自身の人格が否定されているような印象があり、少なくとも私はこの表現が適切
とは思っておりません。【本文引用】
精神疾患は、脳の神経伝達物質の異常、で起きる病気である、と。したがってカウンセ
リングのみでは治療できない。
精神疾患に罹患したときに受けられる制度
精神疾患に関する事務手続きなどが、2002年度より、保健所から市区町村へと移っ
た。一般職だった事務職員が担当者になった場合は、短い期間の研修だけで職務について
いるので、十分に相談を受けてもらえない事態が起きるのではないか、と著者は危惧する。
障害年金や障害者手帳を交付してもらう福祉制度は、サービスを受けようとする当事者
か、その家族などが、自治体や公的機関に「申請」をして「認可」を受ける、という構図
になっている。自分から動かなくてはならない。公的機関などの関係部署から「あなたは、
こういう制度を利用することができます」と通知されてくることはない。当事者が、そう
いう制度があること自体を知らなかったり、また、そうなる理由として、家族が世間体を
気にして病気であることを隠すことが多いから尚気づきにくい、ということがある。また、
制度を利用することは、「自分が病気であることを認めること」でもあるので、制度を利
用したがらない、ということもある。
病気を発症するまえから友人であった友人は、当事者の全体を見る。病気でない健常な
部分も理解している。が、病後に知りあった友人は、人間の全体像を認識するよりも、病
気のイメージを強く持って接することが多いそうだ。
この問題は、当事者と深く話すことで、誤解が解けるだろう、と、私も思う。
「統合失調症の**さん」という印象が、普通に「**さん」という印象に変わるだろ
う。病気は、当事者の一部分でしかないからだ。
転職の際に、一ヶ月だけ国民年金を納めていない期間があった、という理由で、障害年
金が支給されない「無年金障害者」の問題。詳しくは、本編に譲る。
障害年金は、身体障害者の場合、障害の再認定が必要ではない「永久認定」。精神障害
者は、一定年数ごとに「診断書」を提出しなければならない「有期認定」。継続して生計
が成り立つ仕事に就けている場合を除き、社会的な偏見や病状が安定しにくいため、就職
しにくいという事情がある当事者は、障害年金に依存せざるを得ないのである。「診断書」
には、病状の部分だけでなく、「生活上の障害」や働けない状況についても詳しくきちん
と患者側から聞き出して、内容に反映させてほしいと思う、と著者は言う。【一部本文引
用】
障害年金が「支給停止」になった場合の救済方法についても書かれている。内容は、本
編に譲る。
65歳になったときに、障害年金を選ぶのか、老齢年金を選ぶのか、という問題がある。
老齢年金に切り替えた場合は、それまで現役世代の時代に、障害が理由で年金納付を免除
されていた場合は、国民年金の三分の一の額しか支給されなくなってしまう、という問題。
これでは、生活できない。詳細は、本編に譲る。
社会資源の利用に関して、著者が実際に利用してみた感想などを交えて語られている。
共同作業所、精神病院のデイケア、地域生活支援センター。
就労支援について、の項。
この本が発行された2005年7月の時点では、企業は、身体障害者か知的障害者のい
ずれかを何人雇用しなければならないというようになっており、精神障害者はその対象に
なっていない。
面接を受けるときに、障害を隠すか、オープンにするか、という問題がある。どちらも、
一長一短ある。
就労に向けての準備、の項では、発病前に就労経験がある場合は、以前の自分と同じと
思ってしまいがち、と問題提起されている。発病前の元気な自分とあまり比較しないこと
も重要である、と。
これには、第一に症状の問題がある。第二に、服薬をしながらの状態で作業がどれくら
いできるのか、という問題。第三に、服薬や規則的な睡眠・起床をする生活サイクルを維
持できるか、という自己管理の問題。第四に、体力が予想以上に落ちてしまっているかも
しれないという問題。と、著者の語ることを整理して書いてみた。
感想として思うことなのだが、仕事は、つづかなければ意味がない。また、短い期間の
就労を繰り返しながら、最終的に長い期間の就労へと繋げていく、としても、就労後に、
病気が再発したり、より重度になってしまったりしては意味がない。不本意な軽い作業で
も、そちらを選択し、つづけることが大事である、と思う。
統合失調症に罹患してしまった人の社会参加の様々な形
『働けていないと<社会参加>できていない?』の項では、働いていないと社会参加で
きていないとは思わない、と言われる。生計を立てるほどの収入を得ていなくても、共同
作業所で軽作業をしていても、公園掃除をしていても、立派な社会参加と言えるのではな
いか、と。
この点、今の社会の風潮がおかしい、と私も思う。
「働かざる者食うべからず」は、病気や障害を持っている者に対してまでも当てはめる
言葉ではない。
就職はできていなくても、病状が比較的安定していて、入院せずにいることができれば、
一ヶ月あたり20万円前後の入院費が、家計の負担にならず、出費が抑えられる。【本文
引用】そういう考え方もある。
生活支援については、ホームヘルプサービスを、精神疾患の当事者であっても、200
2年度から利用することが出来るようになったらしい。
精神疾患は、「一見丈夫そうに見える」ので、ヘルパーに、「働けるだろう」と思われ
ないだろうか、と遠慮がちに利用する当事者もいる。精神疾患を経験しているホームヘル
パー(ピア・ヘルパー)も増えてきており、「共感」が前提にあって、世話を受けること
も出来るようになってきた。
精神疾患と他の疾患との合併症について、の項では、奥さんが子宮筋腫を発病されて、
その治療過程を書かれて、問題提起されている。
普段から病状を抱えている。その状態の上に、他の疾患の治療である。心の負担も増す。
精神科で処方されている薬と、他の疾患のために出された薬との相性の問題があって、
薬が効かない、という事態も起こる。すべての医者が、薬の相性の問題を、完全に把握し
ているとは言い切れない。
精神疾患を持つ当事者との望ましい接し方
最終項は、『精神疾患を持つ当事者との望ましい接し方について』だった。
子供に接するような接し方ではいけない。というのが印象に残った。
当事者にもプライドはあるし、知能指数が劣るわけではないからだ。
また、肯定的な話の聞き方を心がける、ともあった。
幻聴・幻覚による事実誤認は、当事者としては事実なのである。いきなりの否定では反
発を食らってしまう。
また、私の担当医も、私に対しては、「支持療法」を実践している。真面目で自発的に
努力するタイプの当事者が多い。だから、頑張っているのに、さらに頑張れ、とか、「君
は間違っている」と否定すると、心にダメージを負うことになる。
感想
私自身も当事者だが、実に、当事者の心境を、社会から受ける対応への感覚・感想を、
如実に表している文章だと思った。
書き込まれている。充分に、心境が吐露されている。
また、社会制度の問題点や、利用できる制度の利用の仕方などが詳しく書かれていた。
皆さんも、ご一読ください。
*石山勲氏の他の本の感想は、こちら→ 『幽閉』
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