東野圭吾さんの、『むかし僕が死んだ家』を読みました。
いやー、構成力に感服!
主人公「倉橋沙也加」が、欠落している自分の幼いときの記憶を探るために、話者である主人公「私」(名前が有るのですが、出てくるシーンが少ないので記憶できていません。済みません)と、旅に出る。
倉橋沙也加の親戚の家であるらしい家にたどり着いて、住人の残した日記などを読むことによって、幼い頃の沙也加が、その家とどう繋がっていたのかが、徐々に明らかになる、というお話しです。
仮定の推測案を何通りか出すことによって、段々真実に近づいていく。調べている内に証拠が出てきて、初めの仮定案とは違う真実が見えてくる。まさに、推理小説の醍醐味ですね。
東野さんの頭の中には完全な登場人物の関係図が出来上がっていたのでしょう。しかも、書いている内に前出ではどう書いていたかなぁ、などと、僕の場合返し読みしながらでないと、こういう込み入った人間関係の作品は書けませんが、東野さんの場合は、編集者にストーリー変更の話し切り出されると、その変更部分の影響で他の前出、後出の変えるべき部分がすぐ浮かぶのだそうです。黒川博行さんが本著の推薦文で東野圭吾さんを「理科系の頭脳の持ち主」と絶賛されていました。
ともかく、どこもかしこもが、最後に判る答えの為の伏線になっていて余分な記述がない程でした。
僕の頭では到底無理です。
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