夢枕獏著『秘伝「書く」技術』読了(追記あり)

 夢枕獏さんの、『秘伝「書く」技術』を読みました。
秘伝「書く」技術 (集英社文庫)

秘伝「書く」技術 (集英社文庫)

  • 作者: 夢枕 獏
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/08/21
  • メディア: 文庫
  感想は、例によって追記をお待ちください。

   追記・要約と感想

 夢枕獏さんは、本書のなかで、創作・執筆に関して自分の場合はこうしている、とエクスキューズして、その創作方法を紹介されている。 

「はじめに」から

 小説のアイディアを思いつくと、カードに書く。
 一つのカードに書くのは、一つのアイディア。
 ノートは、あまり使わない。旅先などでは、そのとき手元にあった原稿用紙などに書いて、あとでカードに移す。
 カードというのは、名刺サイズより少し大きな紙。(市販されているらしい)

 三六五日、毎日書く。

 ほとんど、一日中執筆。
 朝は、ニュース視聴などの情報収集。
 小説以外の執筆を九時半から午後二時。(時間にゆとりのあるときは、運動をされることも多い)
 昼食をとってから、小説原稿執筆。午後六時ごろまで。(原稿を書くために考えるという動作もあるので、ずっと連続で書いているわけではない、と仰有っています)
 休憩。
 午後九時から深夜一時まで執筆。

 これは、さすがにプロだと思いました。
 「やる気」をつくってから書くのではなく、「やる」から「やる気」が出てくる。机に向かう習慣が自然と「やる気」を出現させてくるのでしょうね。

 書く前に決めること、書きながら決めること

 細部のプロットから結末まで決めないと書きはじめられないタイプではなく、書きながら、その場、その場、現場で考えながら書いてゆく。だが、「ここまでは決めてからでないと書き始められない」というレベルはある。
 一つの設定を決めると、その設定が、次に決めなければいけない設定を次々に要求してくる。【本文引用】

 結末まで決めてから書くかどうかは、作家によって違うらしいが、僕も、夢枕獏さんと同じタイプだ。

 「とにかく書く」術をつかう

 脳が鼻から垂れるまで考えても、うまくいかないときがあり~(中略)締め切りが迫ってくると、もう悠長なことは言っていられなくなる。【本文引用】
 そんなときは、「とにかく書く」。これが最終兵器。
 一行書くと、次の一行が出てくる。
 これは、共感しますね。

・筆が進むのがベッドシーン

 連載のとき、編集者から要請されて、毎回ベッドシーンを書くことになったらしい。
 自分に経験がなくても、想像して書く。
 思い切って書いてみると書けたらしい。
 ベッドシーンの素晴らしい点は、ストーリーが進まないこと。話の展開を考える必要がない。
 アイディアに窮したときは、ベッドシーンがあるな、と学んだ。【本文引用】

 たしかに、ページ数かせげます。(笑)

 くじけそうなときに自分を支えるもの

 執筆は、孤独な作業。
 編集者や読者からレスポンスをもらえるときは嬉しいが、書き上げるまでは文字通り、頼れるのは自分の筆一本。
 くじけそうなときに最後に自分を支えるのは、「ここまでやった」という小さな積み重ね。
 自分は、ここまで調べたんだ、ここまで考えたんだという、細部の積み重ねが、自分を支えてくれる。【本文引用】

 四歳からぼくは作家だった

 夢枕獏さんは、幼い頃、お父さんに寝る前にオリジナルストーリーを聞かされていたそうです。
 どんなお話でも、「おしまい、おしまい」で終わるのは常なのですが、子供心に、物語が終わるのが納得いかない。それで、お父さんのオリジナルストーリーのつづきを即興でつくって話し始めたそうです。

 悪役の系譜から生まれた安倍晴明

 詳細は、本編に譲る。
 要するに、今まで歌舞伎や講談に登場する晴明は、幼い。一方で、今まで小説に出てきた晴明は、主に老人。晴明を青年で書こうと思われた夢枕獏さん。そのときに決められたキャラクターが、外見を決めてゆき、それに相応しい内面を、ということから、漫画の悪役をイメージされた、ということです。

・脇役キャラを主人公にもってくる新しさ

 今までに、あまり例を見なかった、主人公が巨体という設定。(これは、安倍晴明のことではありません)

 良いタイトルの条件とは?

 アイディアが浮かんで、ある程度作品の骨格が決まると、「タイトルリスト(後に書こうとする作品のリスト。ストックだけに終わることもある)」に追加する。その時点で、仮のタイトルは決めている。その後、連載されることになると、連載が始まるまでタイトル名を考えつづける。
 ご自身の作品のタイトルは、インパクトがあり、かつコンパクトであることを心がけておられる。(覚えてもらいやすいタイトルにしたいから)

 勝負してはいけない局面がある

 連載をつづけていて、ストーリーをどう進ませるか、なかなか決まらない、という場面。
 そういうときは、拙速に勝負しない。無理して勝負すると、小説の場合、修正が利かなくなる。
 ここで、将棋の対局を例に出されている。
 どんな手を指しても「悪手」になりそうだという局面では、あえて「紛れの手」を打つ。僕も、将棋のとき、よくやります。つまり、局面に影響しない手ですね。端香車を一個上げるとかね。
 そこで、前出のベッドシーンが便利なんですね。ファイトシーンもね。描写に力が要るけど、ストーリーに影響はない。

 ・「あとがき」は必ず書くようにする

 夢枕獏さんは、必ず「あとがき」を書かれる。
 それには、三人の方からの影響があるから。
 経緯と、なぜ「あとがき」があったほうがいいのか、については、本編に譲る。

・売れているときこそ違う作風にもチャレンジする

 書きたいことを書き続けるーーこの仕事をずっとつづけてゆくには、一つは、リスク分散。
 こういうジャンルを書く作家、と世間に思われてしまえば、そのジャンルが下火になったときに売れなくなる。「他のジャンルも書けますよ」と言うにしても、売れなくなってからでは世間に伝わらない。だから、いちばん売れているときにこそ、違う作風も書けることを証明しなければいけない。
 他の作品を書くといっても、嫌な話を無理に書くわけではない。書きたくて、ずっとまえから引き出しに入れておいた作品を、そこから出してくるだけのこと。【一部本文引用】

・無駄と思われたアイディアが花開くこともある

 意識的にさまざまな物語を書いてきた夢枕さんだが、アイディアの源泉は、夢枕獏という人間。物語を考え抜く過程で、アイディアは縦横無尽に出てくるが、その時々に採用できるのは一つだけ。こぼれたアイディアを次回以降の作品でつかうことで多岐にわたる作品を書いてきた。【一部本文引用】

・文章を上達させるには面白がる心と訓練

 文章には、「描写」と「表現」がある。
 描写は、テレビで言えば、ボクシングや野球の実況中継。
 描写は、訓練すればするほど上手くなる。

 創作の継続

・二十代ーー無心に書き続けた生活

 同人誌などに書いていた。SF関係とか。
 同人誌界隈の才能のある人は、途中から書かなくなり、創作よりも批評や語る世界に行ってしまう。文学をやるのではなく、「文学とは何か」というところに行ってしまう人が多い。
 そんななか、夢枕さんは、あくまでも創作にこだわっていた。
 根拠のない自信、「いつでも本気を出せばいけるはずだ」と思っていた。「本気」とは、「書くこと」。
 当時、カメラにも色気を出されていた(写真家にも成りたいと思っていた)のですが、それじゃあダメだと気づいて、持っているカメラを全部売って小銭をつくって、部屋にこもって書かれた。三ヶ月間。「来る日も来る日も、暗い部屋で無心に書き続ける生活は、とても楽しかった」ご自身のなかに書きたいものがいっぱい詰まっていた。知識と経験、読んできた童話や小説や漫画、あるいは映画などから得たインスピレーション。この時期に書き上げた、『巨人伝』(のちに『遙かなる巨神』と改題)と『カエルの死』でデビュー。

 デビューまえもデビューしてから当分の間もアルバイトをされている。(日雇いの肉体労働、トラック助手など)

・三十代ーーアイディアを〝外〟に求めることを知る

 デビューしてから10年は、自身の内部の引き出しからアイディアを出していたが、10年経つと、自分のなかに根本のアイディアがあっても、それだけでは書けなくなった。物語を組み立てていく細かなアイディアのための情報を、自分の〝外〟に求めねばならなくなった。(現実世界との整合性を照らし合わせるためや物事の具体性を持たせるための資料調べや取材ではなく、アイディアそれ自体のための取材が必要になった)
 夢枕さんは、こういう変化を、自分の引き出しが尽きた、とは捉えない。自分の頭だけで書いていると、自分でも飽きてくる。自分の考える範囲内のことしか書けない。自分の殻を破るには、外の力を借りる必要がどうしても出てくる。

・四十代ーー死ぬまでにあと何冊書けるのか

 サラリーマンの場合、四〇歳にもなると、この先どの程度出世するのか、生涯で稼げる金額はいくらなのかが、はっきり分かってくる。
 夢枕さんの場合、不安なのは、今までに書きたいと思っていたアイディアを、生涯で全部書ききれるのか、ということ。
 そこで、生きているうちに出来るだけ多く作品を書きたいと思われて、実行されたのは、環境を整えること。「陶芸のできる釣り小屋」を建てられた。毎日書くのを日課にしていて、釣りや陶芸をする日は書かない、というのは性に合わないから。だから、全部できる環境を整えた。

・趣味が仕事の幅を広げてくれる

 趣味をしゃかりきになって「極める」つもりはない。
 結果的に極まることはあるかもしれないが、極められなくてもそれはそれでいい。
 だから、やりたいなと思ったらどんどん手を出すようにしている、というより、出しちゃう。【本文引用】
 格闘技観戦の趣味の人脈から、落語を書くという仕事に発展した。人的交流もできる。異業種・異趣味が、二段階離れていても繋がるというご経験。(*本編事実を完全には理解できてないので、詳細は本編でご確認ください)

・三十代の文章と六十代の文章の違い

 人間、最後は衰える。脳が衰える。書くものも、どこかで衰えざるを得ない。
 ただし、プラスマイナスゼロ。体力や熱量、欲望、渇望間といった若さに付随しがちなものは年齢を重ねるにつれて失われていく。一方で、人生の経験値は増えていく。
 歳をとることで得るものもあれば手放すものもある。これを意識しておくことは大事。

 どうやって売れる本を書くか

 時代にシンクロする本は売れる。だが、出版前に予測するのは無理。
 夢枕さんの場合、アイディアを考えている時期と出版の時期にズレがある。
 夢枕さんの場合、書きたいものを挙げて編集者に選んでもらうというやり方。
 本がなかなか売れない時代になった。そんななかで本を世に出すというのは、暗闇に石を投げ込むに等しい行為のように思えるときもある。それでも書くのだから、「ぼくが書きたいと心から思うもの、面白いと信ずるものを書かなければ意味がない」。【一部本文引用】

・最後に書くと決めた「最終小説」

 将棋には、「最終定跡(さいしゅうじょうせき)」と呼ばれるものがある。今のところ現世には存在しないが、理論的にはあるかもしれないと言われている。それは、必ず勝てる定跡。その定跡が見つかったら将棋というゲームがおしまいになってしまう。それが、「最終定跡」【本文引用】
 小説にも、それはあるかもしれない、と思われた夢枕さん。一瞬思ったが、それは「ないな」と思われた。でも、それでは面白くなくて、「最終小説」というものが存在すると仮定して、それはどんな話だろうかと考えられた。定義を。
 この世に存在する小説から得られる感動のすべてが、その一冊で得られる小説、と定義。
 最終小説一冊だけあれば、ほかのすべての小悦が要らなくなる。(実際には、あり得ないが)
 このあと、本編では、最終小説がどんなテーマと内容なのかが詳細に述べられます。是非、本編をお読みください。

 感想と、まとめ

 本編では、技術的なことはとくに、小説とは、どう書くべきかは人それぞれで、あくまでも、「私の場合は~」と前置きして語っておられる。
 たしかに、小説創作なんて、人それぞれだろうと僕も思う。
 夢枕獏さんのやり方が、導入できる人もいるだろうし、本編で語られるノウハウや生活習慣や考え方が、読者(とくに、小説家を目指す読者)の血肉になれば大変良いことだと思う。
 寡作か多作かは、作家によって違うが、よくもこんなに長時間書かれるものだと脱帽した。
 「やる」から「やる気」が出てくる。まさに、その通りだな、と思った。
 僕も、文机に向かってペンを持つ時間を増やさないとな。習慣が大事ですね。

 


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