杉並での生活にも大分慣れてきた。
まだまだ、哲学科の大学生の先輩の後について回るだけで手一杯だった。
所長と、どれだけルートを覚えたかを確認される行程に出た。
新聞屋の仕事の場合、次の配達先への地図というのが、ト(隣り)、とかY字とか、ハス(斜向かい)、1ト(一軒おいて隣り)とかいう記号によって、分かりやすく書かれているのだった。それでも、僕は、一軒も配達先へたどり着けず、所長の落胆を招いた。
朝には特に睡眠薬の残っている僕には、配達ルートを覚えるのもままならなかった。
夜は営業に出た。
新聞をとってください、と、頭を下げて一般の家をまわるのだ。
杉並区高円寺の専売所での生活が慣れてきた頃、つまりは、就業してから二週間ほど経った頃、
僕は、ついに、睡眠薬のせいで朝出勤をすっぽかしてしまった。
枕許の時計を観れば、何と、八時過ぎを指している。
ごんごんごんごん、ドアをノックする音が聞こえた。
教えてもらってるのとは別の先輩だった。
「**、ともかく、所長に謝れ。それだけでいいから」
「ちょっと、もう、僕には無理ですわ。普段、不眠症を持ちながら薬を飲んでの仕事ですもん。こんな日が来るのは分かってました。所長には、その旨説明します。それで、辞めますわ」
「何を言う。余分なことは言わなくていいから、次から気をつけて頑張ったらいいねや」
そう、先輩専業員に諭されたが、僕は、所長に、自分の持病があって、新聞屋という業種では限界だと正直に伝えた。
「そうか、分かった。それなら、次のところを探せばいい。田舎に帰る気はないのか。……それなら、次の仕事が決まるまで、今のアパートから面接に行ったらいいよ」
ここの所長にここまで融通を聞いてもらったことを、後に、何という幸福だったのか、と感謝することになる。
僕は、新たに、東京での仕事を探した。
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コメント
>xml_xslさん
ナイスを有り難うございます。