トルストイ民話集、小沼文彦さん訳の、『人は何によって生きているか』を読みました。
例によって、感想は少し遅れて追記で書きますので、しばらくお待ちください。
追記・感想
ネタバレを含む書き方になりますが、まず、同名短編『人は何によって生きているか』から。
神の命令に背いた堕天使に、神から命題が与えられていた。その命題(ちょっと命題という言葉が的確ではないかもですが)は三つあって、その内の一つが、「人は何によって生きているか」を知ることだったのです。
結論から言いますと、人は神の霊(息吹)によって生かされている、ということです。
私が通ったキリスト教の新興宗教の教えでも、人は、キリスト教の信者であるかどうかには関係なく、神(キリスト)の霊を受けて生きている、と聞きました。
堕天使(この時点では堕天使ではなく天使だが、便宜上、「堕天使」と統一して書きます)は、神から人の命を召す(命を終わらせる。つまり天に帰させる)使命もあるようです。
しかし、身寄りが自分しかない双子を出産した女の懇願に負けて、その女の命を召すことを躊躇って助けてやりました。
天に帰ると天使は、「それでも、もう一度、女の魂をとってくるように」と神からの命令を受けます。堕天使は今度は女の魂を身体から抜き、それを持って天に戻るときに、強風に遭い、地上に人間の姿で裸で取り残されるのです。
靴職人が彼を助けるのです。
堕天使は、人間として生きて、靴職人としても一人前になってゆくのです。
その途中で、神からの命題の答えに、三度、遭遇します。
全編、それぞれの短編が寓話でした。
あとがきにもありましたが、小説で教導的・道徳的な作品であるところが鼻について、好きになれないと仰有る向きもあるようですが、それが、トルストイの作品の一番の特徴であり醍醐味であるとも言えます。
マタイによる福音書の山上の垂訓の、五つの教えを、護ることが彼の生き方でした。 すなわち、「怒ってはならない」「姦淫してはならない」「誓ってはならない」「悪をもって悪に抗してはならない」「いかなる人の敵ともなってはならない」という教えです。これは、簡単に実践できるものではありません。
トルストイ自身も退廃的になって酒や女や賭博に浸かったこともあり、そういう生活を反省して、軍隊に入隊して前線で活躍するなど、波乱に富んだ人生で、生涯一環して山上の垂訓を実践できた訳ではないようです。
全編、分かりやすい文体です。
『人間には多くの土地が入用か』なども、多くのものを持とうとする為に、結局、自分の命を犠牲にしてしまっては意味がない、という、聖書の教える処をテーマにしています。
小作農民が搾取されて、働いても潤わない状況に追いやられていた、という当時のロシアの時代背景も作品に投影されているようです。
現実性を追いかける文学とは、また違いますが(全ての作品が寓話である)、唸らせるものがあります。人間社会を俯瞰して見て、実は、作者の言う通りだ、と共感し純粋に泣ける処もあります。トルストイの他の作品も読んでみたいと思いました。
『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』は、長いですが……。
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