磯崎憲一郎(いそざき けんいちろう)さんの、『終(つい)の住処(すみか)』を読みました。
上記の本ではなく、文藝春秋9月号掲載のです。(加筆分には触れられないことになりますが)
例によって、感想は追記で挙げますので、しばらくお待ちください。
追記・感想
アマゾンの書評に、ムージルという作家の文体の影響を受けているのだろう、と或るカ
スタマーの方が書かれていたが、私には、ムージルを読んだことがないので分からなかっ
た。(済みません。勉強不足で)
冒頭を読み始めて、やはり、真っ先に、思い浮かんだのは、ガルシア=マルケスの文体
だな、と。ここまで似ていると、意識して書かれたのだろうし、書く場合にも訓練が必要
だろう。
一寸、ここからの文(僕の書評)、「だ調」と「ですます調」になるかも知れないです
が、磯崎さんは先輩であるし、リスペクトする為にそうします。
さて、この文体が、僕にとっては、非常に読みやすいのです。
芥川賞選考委員のお一人が言われていたんですが、ガルシア=マルケスの文体は、説明
の積み重ねなので(逆に、描写が少ないので)、それを導入しては日本の文学にはならな
い、という意見もあるでしょうが、坦々と、しかも重なってくる重苦しさを感じて良かっ
たです。僕の文体も、説明が多いし、或る程度、ガルシア=マルケスの文体を意識して書
くこともありますが、この『終の住処』のように、完全な踏襲は出来ていません。
結婚した相手(主人公の妻)が、自分の未来のことを初めから知っていた、という設定
で、それが、だんだん分かってくる主人公。
時間を逆に辿るような気分に主人公自身がなっていきます。
しかし、それも、(妻が主人公の結婚後の軌跡を知っていた、というのも)読み手には、
最後まで、或いは主人公自身にも、最後まで、事実かどうかを把握・認識することは出来
ません。
主人公の人物背景が薄い、ということは言えます。どういう人物かを表すのに、その描
写が少ないと。こんな事がありました。の、連続です。しかも、普通の人が生きていたら、
もっと深刻なことにも出会うだろうけど、割ととてつもない出来事というのはこの主人公
には一つもありませんでした。
しかし、僕にとっては、引き込まれる文章でした。
結婚をすると、取引先や顧客の信用が上がる、という事は実際にあるでしょう。そして、
結婚すると急にモテだす、という事もあるでしょう。
僕にとって、一番興味深かったのは、子育てをしながら生業をする毎日の辛さと自分の
子供が可愛いと思える至福感が描かれていたことでした。僕は、子なしなので、この感覚
は推測でしか分かりません。
色んな事が有ったけれども、最終的に終の住処に落ちつく。
その、全てが、その時刻に帰結する為に、人生そのものがあった、というような寂寥感
があります。
回想や、登場人物が語る思い出話しに、心理的なイメージ戦略というのがあるのかも知
れません。簡単に言うと、サブリミナル・アド効果のような。ガルシア=マルケスも、そ
ういう書き方をします。
それから、やはり、サラリーマンのプライドというものも感じます。自分はハードで、
誰にでもは出来ない仕事をやってきたのだ、というプライドを後半の部分では感じます。
何か、折角、達成したけれども、結局は終の住処での暮らし、で人生の最期の時期を過
ごすのだ、という悟りに似た無常観を感じます。
仕事そのものであってもいいですが、一生涯を通じてやっと達成できるようなライフワ
ークがないと、人生は淋しいなぁ、とも思わされます。(大体、信仰か、芸術の追究が、
人生の後半ではテーマになるのですが、勿論、僕の場合ですが)
しかし、それがまた、普通の人の人生を描いているので、より文学と言えるのだと思い
ます。
夫婦の間がどうなるのだろう、という興味に引っぱられて、先を読みたいという気持ち
が湧いて一気に読めました。
賛否両方あるでしょうが、僕にとっては、嵌った小説でした。
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コメント
>hiroさん
ナイスを有り難うございます。(^。^)
磯崎憲一郎の「終の住処」を読んだ!
第141回芥川賞受賞作、磯崎憲一郎の「終の住処」を読みました。初出は「新潮2009年6月号」です。書き下ろしの僅か29ページの「ペナント」という作品と合わせて、2009年7月25日に単行本「終の住処」(新潮社、定価:本体1200円税別)として発売されました。さっそく購入して