今日は、妻の命日です。
なぜ亡くなったのか、今でも分かりません。
自分の人生を思い返すときに、何人かの夭逝した同級生のことを思い返します。
Fくんは、小学校低学年時代は、お互いに反対意見をぶつけあって発表をし合うライバルでした。
Fくんは、早期に進学校に行った為に、食生活の不十分な生活を余儀なくされて、肝臓病で死んでいきました。
Fくんが入院していると聞いて、病院にお見舞いにいきましたが、昔のような忌憚のない話は出来ませんでした。
それは、僕の方が、小学校高学年のときにきついイジメに遭って、昔のような活発さも、勉学の優秀さもなくしてしまったからでした。Fくんには、正直に、自分の状態を吐露することが出来ませんでした。
高校時代に友人となったBくん。
Bくんは、高校一年生の途中から登校拒否となって、そのまま家に引き籠もってしまいました。
僕が、哲学的善悪問答を一緒に考えてくれ、と頼んだから、Bくんが、そのような悩む傾向にはいってしまったのだろうか、と、今でも思います。
高校時代は、特に、誰かが誰かにイジメられているという事はなかった時代です。
Bくんは、社会人になってから、何度か生業の仕事に就こうと行動を起こし、しかし、何度も挫折し、遂には、27歳のとき、亡くなってしまいました。死因は今でも分かりません。
原付の免許だけはとって、二人で地元の山を二台の原付で登ったりして、今からでも、きっと将来、人生は挽回できる、と、僕のことも含め、お互いに思っていたのでした。
田舎の実家だったので、Bくんのご両親は、僕が訪ねていっても、Bくんを会わせないようにしました。
自分の家の息子が、もう二十歳を超えているのに、生業に就けていない姿を、出来るだけ他人の目に晒さないようにされたのだと思います。
しかし、その事によって、Bくんは、僕や数人の友人とも会えなくなってしまいました。
世間的体裁を気にされるから、Bくんは、昼間から雨戸を閉め切った自室で過ごすしかありませんでした。
いくらでも、それなりに生きていくことが出来たのに…。と、僕は今でも、Bくんの事を悔やむのです。
甲斐バンドやゴダイゴのテープを、僕と一緒に聴いて笑っていたBくん。
そんなに簡単に死んでは駄目です。
調子が悪く、病気など、しかも目に見えない病気になったときに、理解してあげられるのは家族だけです。
僕は、Bくんとも、Fくんとも、亡き妻とも、もう一度酒を酌み交わしたい。
なんとか成らなかったのだろうか、或いは、自分がその原因の一端を担ってしまったのだろうか、と、ときどき考え込んでしまいます。
妻や母でなくても、後で泣く人は居るんですよ。
もう一度、君の家に行きたいよ。
二人でコーヒーを飲みながら、音楽の話をしたいよ。
Bくん。
コメント
奥様のご命日でしたか。
先に逝かれてしまった方々への想い・・・
山雨 乃兎さんのお気持ち しみじみと伝わってきました。
>タックンさん
今日は、僕は、一寸可笑しいです。
妻のことを思いだしてから、同級生のことも、妻のことよりも強く思いだしてしまいました。涙が溢れてきて、止まりませんでした。
妻に関しては、神様にとりなしてあげる祈りをする必要があるとときどき思います。
また、お寄りくださいね。(^。^)