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『1995年』ーーー6

 毎朝、出社して三十分の部内会議を了えると、ライトバンで出る日々になった。

 ーーー基本的に挨拶まわりだから、アポイントは入れなくてもいい。

 御手洗にそう指示されたのですぐに車に乗る。府内を巡って相手方に着く。運わる

く相手が留守のときもある。他をまわって時間を調整したり、当人より格下の課長・

係長に会うことにしたりする。社用車はカーナビゲーションがないので、方向感覚の

鈍い佐伯は、相手方の社の周りを大まわりに何回もまわったりすることになる。

 今の俺は、体のいい窓際族かもしれない、と佐伯は考える。

 しかし、シャキッとできない。

 深いつながりが亡くなったという程の喪失感ではないはずだ。自分にそう言い聞か

せる。

 葬儀をふくめて神戸に二回行った。

 昼間なのに空がオレンジ色で、あの核戦争で人類の殆どが亡くなったあとが舞台の

世紀末アニメーションを見ているようだった。

 帰路につき自社ビルの地下に車を戻す。

 階段で一階に上がる。エレベーターホールへ行こうとして首を振って玄関を見ると

人だかりが出来ていた。

「石島さんが……」

 石島の部下の仙崎の顔が蒼白だ。

 石島よしえは、本社ビルの屋上から飛び降りた。商品開発部の人員がそれぞれの用

でフロアから外れていたほんの十分ほどの間の出来事らしい。

 救急車のモノフォニックメロディー二音が時間差のある短調をつくる。

 よしえの頭蓋骨はぱっくりと口を開け、直径二メートルの血の円がある。

 上空には何故かヘリがホバリングしていた。

 

 アイメックスの事務所ではTVを点けながら仕事をするのが当たり前になった。神

戸の街の回復を見守ろうという暗黙の了解だった。四六時中、神戸の様子を伝える報

道番組が流れた。

 神戸の人が必死に生きているのだから自分たちも今与えられた職責や学業を全うし

なくてはならない。誰もが自分にそう言い聞かせて幾分、ストイックに前のめりにな

っていた。

 そんな色合いが一瞬で変わった。

 東京の地下鉄で多くの人が同時に倒れて死んだ。原因はすぐには判らなかった。出

勤途上のラッシュアワーの中で数千人の人が同時に倒れた。伝染病かとも思われた。

ビニール袋を傘で突き刺して立ち去った人が何人も居たということだった。それは二

種類の薬品を混ぜると化学変化を起こして発生するサリンという猛毒だった。やがて、

或る宗教団体が怪しいということになった。

 地震の報道は鳴りをひそめ、宗教団体を糾弾する放送が終日ながれた。

 神戸の被災者に心労や疲労が消えた訳ではなかった。

 佐伯は山崎工業や丸菱工業の被災した社員らを励ましに仕事とは別の日に動いた。

目の前に疲労困憊した同胞企業の家族が居て、病院のTVではオウム真理教を紹介す

る為のような大量殺戮テロ事件のドキュメントが流れていた。

 

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