車谷長吉さんの、『妖談(ようだん)』を読みました。
こちらも、感想は、追記をお待ちください。
追記・感想
車谷長吉氏の最近の掌編小説集。
読んでいて、これは私小説というよりエッセイみたいだ、と思える作品もあった。
車谷氏は、虚実皮膜(きょじつ・ひまく)の中間(ちゅうげん)を行く、と普段から執
筆姿勢について言われているので、一つひとつの作品自体が、全て事実を書いたも
のではなく、嘘も交ぜてある。それは、今回も読んでいて分かった。
一つひとつの作品が短い所為もあるが、登場人物のバックボーンを想像することも出来
ず、(何々があった、というような)説明だけで物語が進行するので、読んでても面白く
ないなぁ、等と思っていたのだが、後半の作品になると俄然、車谷氏でなければ経験して
いない事実が沢山登場する。
面白かったのは、『虫のいい女』という作品。プライドの高い、同僚を見下すところも
あった英語の出来る女が、高給の東京のカナダ大使館の仕事に引き抜かれて転職す
るも、勤め帰りに交通事故であっけなく死んでしまう。その記事を見た元同僚たちが彼女
のことを回想してしばらく話すのだが、誰もついに「可哀想」という言葉は口にせず、す
ぐにその話題は終わってしまう。作中には、「これが近代社会である」と書かれていた。
『まさか』という作品では、ストーリーとは直接関係はないが、おそらくは著者の考え
方、と経験だろう、と思われる「人の顰蹙を買う」作品が編集者に好まれるのだという事
実。そういう作品こそ売れるので、著者は無難な作品を書こうともするのだが、どうして
も編集者からオウケイを貰えないので、そういう作品を出すことになる。読者もまた、そ
ういう人の顰蹙を買うような作品を、こっそりと自宅で読みたいのである、という論旨が
出てきた。
まったく、その通りかも知れない。
『二人の母』では、不幸な境遇で育った人の子が、また不幸になる、という不幸の連鎖
・悪循環、を問題提起している。ストーリーについては、是非、本編を読んで頂きたい。
『殴る蹴る』という作品では、私と同じ考えが主人公の口を通して語られた。
大学の授業で、学生である主人公が、ゲーテを解説していた教授の得意満面な状態のと
きに出た「僕ぐらいの大学者になると、こういうファウスト博士の嘆きがよく分かるんだ」
と、自身のことを「大学者」と言ってのけたのに対し、「えッ、誰が大学者なの」と反論
の指摘をする。そのことが元でストーリーが展開していくのだが……。【一部、本文引用】
ゲーテについて研究、或いは、このストーリーに限らず、大人物に対して、研究する。
翻訳、注釈、解説をする教授。こういう人は、それはそれで研鑽を褒められるべきなので
しょうが、自分自身が創作をしていない。こういう意味で、主人公の学生は、この教授は
ファウストに比べたら大学者ではない、と言ったのです。
この考え方、まったく私と同じです。
恐らく、車谷さん自身の考え方でもあり、ストーリーも、もしかしたら実体験かも知れ
ません。そう思いました。
『業が沸く』と『警察官を騙した女』については、読んでいて、地元西脇の人たち(全
部が全部ではありませんが)の気風そのものだなぁ、と思いました。
車谷さんは、播州飾磨生まれですから、西脇と土地が近いので気風が似ているのかも知
れません。(いやー、西脇でも、一つ隣りの市に行くと気風が穏やかですから、どういう訳なのか
分かりませんが……)
ともかく、がめつい。えげつない。そういう人たちが多いのです。
読んでいて、「居る居る、こういう人」と首肯してしまいました。
他人や周りに傷つけられたことをそのまま書くから、そして書き手が心のダメージを負
っているから、余計そのダメージが読み手にも届くのでしょうね。
こういう作品群も、やはり文学を支えているのだと思いました。
翻って、きれい事で生活できるような土地では、心に訴えかける重たい作品は生まれな
い、とも言えるのかなぁ、と思いました。
・車谷長吉さんの他の著作の感想→ 『世界一周恐怖航海記』 『人生の四苦八苦』
コメント
>ビター スイートさん
ナイスを有り難うございます。
書評、少しお待ちくださいね。(^。^)