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サンデルの授業を見ていて

 サンデルの「白熱教室」などの授業を見ていて思うのだ。

 社会全体の幸福度を上げることと、個人の最低限の人権を護ることの、仮定的な議論で設定される状況に、

片や、恣意的な殺人が伴うものが多すぎる。

 選択の余地なく、動きとして避けられないことの中に、自分が望まない殺人(結果的)があるのと、

多数の幸福のために、恣意的な殺人を犯すのもアリ、か、とする議論に、そこでは、その軸での議論でないのに、ごっちゃまぜにして議論することに無理があるように思う。

 対極の条件の設定として不公平な設定をもってきている、と私は思う。

 問いの設定が、同じフィールドに立っていない。

 電車が避けられなくてブレーキも効かない状況のとき、(電車の運転士に)ハンドルを切って二つの違う状況の路線に行くことを選択する、という問い、と、

分岐していない線路で、誰も改善策を施行することが出来ない状況で、線路脇に居た自分の隣に大柄の男が居るから、その男を線路に突き落とせば、最悪の事態は避けられる、という、対立する項目自体が、同じフィールドに立っていない。

 片や、自分に出来る最善の行動は何か、と問うているのに対し、

一方は、恣意的な殺人を犯すべきか、という、違うレベルの行動をすべきかどうか、という問題までをも含んでいる。

 一方は、義務があり、することとしては選択だけである。

 片や、一方は、それをしない自由も与えられており、それをしなければならない義務はない状況である。

 まして、後者は、能動的殺人である。

 これは、不自然な議論と言わざるを得ない。

 或いは、サンデルは究極の選択の選択肢の中に、能動的殺人とやむない殺人、という項目を敢えて出現させたのかも知れない。

 サンデルとしては、出演者に、そこに気づいてもらいたかったのかも知れない。

 私はこのブログで万年筆の魅力を綴ってきましたが、実は長年、その万年筆を相棒に物語を紡いできた小説家でもあります。

 インクが紙に染み込むように、人の心の奥底にある「光と影」をすくい上げたい——。そんな想いで書き上げたのが、私の代表作『閉鎖病棟』です。

 閉ざされた場所で交錯する、剥き出しの人間模様。 作家として「本当に面白い、価値のあるものを届けたい」という一心で、一文字ずつ丁寧に命を吹き込みました。

 万年筆を愛するあなたなら、きっとこの物語の「手触り」を感じていただけるはずです。

 画面を閉じる前に、ぜひ一度、私の本の世界を覗いてみてください。

真夜中のつれづれ記……
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コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >ビター・スイートさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

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