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イエスの奇蹟を無かったことにするなら、それは、もう信仰心もない。

だいたい、なぜ二千年もまえの人物が、口承されているのか。

 或る地方で生まれた男が、ユダヤ教の戒律を重視する点に拘らずに、新しい教えを説いて、それによって民衆や権力者に反感を買って処刑された。

 という事実だけならば、二千年以上も、イエスを神だとする宗教など消滅していたのではないか。

奇蹟を起こしたからこそ、群衆がついてきたのだ。

 教えだけを説いてまわっても、多数の群衆がついて来るはずがない。

 病気を癒やされて、本心から嬉しくてイエスについていったのだ。

 イエスを神と信じるから、プラシーボ効果で、少し病状が好転したのだ、などと言う人があるが、そうではない。イエスに按手されて、一瞬で快癒したのだ。

復活を信じないなら、それは最早、信者ではない。

 イエスの復活を信じないということは、人間が復活することなどありえない、とする考え方で、そうなると、ラザロの復活も無かったことになる。

 ラザロが復活していなかったとすれば、イエスに奇蹟を起こす力が無かったことになり、そうなると、イエスは、ただの預言者で神ではないことになってしまう。

 イエスは、単なる歴史上の人物ではない。

 もし、そういう捉え方をするなら、その人はキリスト者ではない。

 私はこのブログで万年筆の魅力を綴ってきましたが、実は長年、その万年筆を相棒に物語を紡いできた小説家でもあります。

 インクが紙に染み込むように、人の心の奥底にある「光と影」をすくい上げたい——。そんな想いで書き上げたのが、私の代表作『閉鎖病棟』です。

 閉ざされた場所で交錯する、剥き出しの人間模様。 作家として「本当に面白い、価値のあるものを届けたい」という一心で、一文字ずつ丁寧に命を吹き込みました。

 万年筆を愛するあなたなら、きっとこの物語の「手触り」を感じていただけるはずです。

 画面を閉じる前に、ぜひ一度、私の本の世界を覗いてみてください。

真夜中のつれづれ記……キリストについて
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