監督:前田哲 原作:佐藤愛子 脚本:大島里美 出演:笛吹光子 唐沢寿明の、映画『九十歳。何がめでたい』を観ました。
例によって感想は、追記をお待ちください。
追記・感想
直木賞受賞後、数々の名作を上梓してきた主人公の女流作家。佐藤愛子(笛吹光子)
九十歳をまえに、自分が書きたかった小説をすべて書き終え、これからは悠々自適に過ごすと決めて隠居生活に入ったのだが、その生活は、何にも興味を持てず気分が滅入ってくるものだった。
しかし、この頃の状況の描写では、毎朝新聞受けに新聞を取りに行き、牛乳を手鍋で温めて飲む、という昭和の暮らし方が描かれていて、こういう暮らしもいいな、と思わされた。
新聞は、今では、ネットニュースに置きかわって、情報量もほぼ変わらないことから取らない家庭が一般的となったが、新聞にはネットニュースにはないメリットがある。
それは、一覧性だ。
紙面を広げたとき、一瞬ですべての見出しが目に飛び込んでくる。多くの見出しを一遍に見ることによって、世の中はさいきんどうなっているかが一瞬で掴めるのだ。
そして、興味を持ったトピックは深読みすればいい、という訳だ。
主人公家族の家族構成は、娘とその子(つまり孫娘)との同居家族で一軒家で暮らしている。
一軒家で、主人公が一階に、娘とその子は二階に住んでいる。
もう一つの視点として描かれるのが、出版社のベテラン編集者だ。吉川真也(きっかわ・しんや)(唐沢寿明)
昭和で活躍したモーレツ社員だが、現代の働き方の変化から同僚や部下から煙たがられる存在になっている。
内部のクレームによって、ほとんど窓際職まで追いやられた。しかし、その部署で佐藤愛子のエッセイの企画を目にし、若手が、佐藤愛子がすべに断筆しているので依頼を諦めていたエッセイ執筆の企画を、吉川独自で履行しようと奮闘する。
佐藤の家に、差し入れを持っていって佐藤を持ち上げ執筆をお願いする。
佐藤のほうも単なる仕事の実績のためだけに来たのだなと見極め、自著を何作読んだか、どんな感想を持ったか、と吉川に詰め寄る。
最初の内は、佐藤の質問に綻びのある答えしか返せない吉川だったが、吉川は、仕事としての情熱だけでなく、佐藤のプロフィールを読んで尊敬の感情を持っていたので、著作を読んで佐藤への理解を深めていく。
吉川の佐藤の家への通い詰め(日参)の描写が恐れ入った。
何度断られても、新たな差し入れを持って再訪問する。六回は訪問しただろう。
最後は、憔悴しきった演技までし、見かねた佐藤に、ついに執筆の約束をさせる。
やっぱり新規営業は、ここまでやらねばなぁ、と思った。吉川は営業マンの鑑だ。
しかし、ここまでモーレツ社員である吉川も、家庭のことは放ったらかしで、家族は一旦崩壊するのであった。
後半では、吉川の家族にまで良い意味で関与してくる佐藤。
全編は、佐藤の生涯と、作家になってからの暮らしと、吉川の家庭事情が描かれている。
佐藤が今回書くエッセイは、現代と昔の人間や社会の変化を比較し、ときには落胆しときには便利になったことを喜ぶといった内容。そして、何気ない日常で感じたことなどが描かれている。
戦前から生きてきた佐藤には、気骨がなくなった現代人に言いたいことがあるのだろう。
内容は、どこか笑える部分があったり、泣ける部分もあるので、それがヒットに繋がる。
この作品で得た教訓は、老いても隠居にはなるな、ということだった。
新しいことに興味を持ち、何か日々やることを作って或る程度忙しいほうが鬱にはならないし人生が充実する、ということだった。



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