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「他人と比べて落ちこむから、他人と比較する癖をやめましょう」
という風潮には、私は、断固反対だ。
この世の中、他人に勝つから嬉しいのだ。
勝ったときに、ドーパミンが大量に出る。
今は、他人に負けていても、必ず最終的には勝ってやる、と思って自己研鑽し、その過程を愉しみ、少しずつポジションが上がる悦びを得て、目標としては、最終的に高みに昇ることだが、何も世界一になる必要はない。
昨日の自分と比べて成長したことを喜ぶのもいいことだが、人生の最期まで、何の分野でも一定の成果が上げられなかった、というのでは、果たしてそんな人生でいいのだろうか。
自己肯定感は、ありのままの自分を認めることだけだと考える、今の風潮に辟易している。
自分が勝って、内心で優越感を持つことを、私は悪いことだとは思っていない。
それを、初対面の相手などに、実績をひけらかしてマウントをとる必要はない。
訊かれれば、「自分は、或る一定のレベルには成っています。勿論努力はしましたから」と言えばよい。
SNSで海外旅行を満喫している動画や写真を目にし、高級料理店で会食している料理の写真がアップロードされていたとしても、そこで、「おれは、こんな贅沢は出来ない。おれには何もない。負けた」と言って落ちこむ必要はない。
そこで勝ちたいのか、ということ。
毎日、贅沢な食事と海外旅行したいのか、ということ。
贅沢がしたければ、少しずつ金を貯めて、その金で贅沢すればいいだろう。
私は、そんな贅沢、出来るようにはなりたいが、今できてなくても口惜しいとか負けた、とか思わない。
よく、他人と比べる生き方だと、成功してもさらに上の成功者に嫉妬するからストレスから解放されない、と言うが、そこまでの頂点に行かないと気が済まないのか。
事業を始めて成功し、プライベートジェットを保有し、美人の妻を娶り、頻繁に海外旅行に行き、高級時計を身につけ、高級車を運転手付きで乗り回し……、一番上にならないと気が済まないなら、そこまでにならないと気が済まないだろう。
そこまでに成りたいですか?
「いや、そこまでは」(相棒X)
世界で活躍するスポーツ選手に、負けたと思うとか、その人に比べておれは、とか思いますか。
すべてのことで勝たないと、劣等感を感じるなら、自分のルックスは、どうでしょう。世界一、美男・美女でないと劣等感に苛まれて落ちこみますよね。
野球が世界一で、バスケットボール選手としても世界一で、プログラミングのスキルも世界一で、歴史・地理・数学・外国語も世界一できて、小説でも世界一で、俳優としても世界一で……。
そこまでじゃないと劣等感を持つ、という見解です。【成功してもさらに上の成功者に嫉妬するからストレスから解放されない】という考え方は。
多くのジャンルで一番にならなくてもいいんですよ。
そして、目指してもいいけど、必ずしも世界一にまで成らなくてもいい。
日本一、県で一位、市町村で一位、ニッチなカテゴリーで一位、それでいいじゃないですか。
何で、一番に成ろうとする意欲を、「他人と比較しなくていい」と萎えさせるのか。
努力した結果、一位はとれなくても、或る程度はその分野で認められるようになった、という事でも嬉しい筈です。
一番アカンのは、「あの人と比べて、おれは駄目だわ。どうせ、おれなんて」と落ちこむことです。
その分野が勝ちたい分野なら、現状の負けは認めなさい。
でも、落ちこむ必要はない。
落ち込んでいる感覚に酔っているのでしょう。
落ち込んでいる時間を長くとっていると、自己研鑽する時間も減りますよ。
相手に、その分野で勝ちたいなら、どうしたら勝てるか作戦を練って、日々の小さな努力を続けましょう。
千人に一人に成れる、貴方が勝てる分野は、必ずある筈です。
何も、派手な分野だけではありません。目立たないけど凄い実績を誇れる分野もあります。
他人に勝つ喜びを知らないと、人生の醍醐味は半分ですよ。
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