監督・是枝裕和さん 脚本・坂元裕二さん 主演・安藤サクラさん 永山瑛太さんの、映画『怪物』を観ました。
例によって感想は、追記をお待ちください。
追記・感想
今回は、ストーリーに関しては詳細に書きません。
是非、一度本編をご覧ください。
学校でのいじめが、メインテーマです。
そのいじめから派生して、事件が起こっていく。
主人公の母親視点、主人公の視点、担任教師の視点、学校側の視点、それぞれに物事の見え方が違います。
主人公は、母親に怪我を指摘されて説明するとき、なんでもっと正確に伝えなかったのか。主人公の説明不足が、担任教師を辞職にまで追い込んでいる。
担任教師は、物事のシーンを、その場面だけで判断している。
学校側は、事なかれ主義を実行しようとして、そのことが却って世間に騒がれる事態を引き起こしている。
もっと全員が、意思疎通をしないといけない。自分が知っている事柄を、知っている範囲は全部詳しく説明するべきです。それを、この4者間で出来ていれば、この物語で起こるような騒動は起きなかったでしょう。
黙っていることが美徳、という考え方は捨てるべきです。
一番許せなかったのは、クラスの中のマジョリティー、男子数名です。
弱い者いじめじゃないですか。
主人公は、いじめたくないのに、ターゲットが自分になることを恐れて、衣里を庇うことが出来ない。だから、母親に誤解され、教師にも誤認され、こういう大きなことが起こってしまったのです。
一番悪いのは、普段から衣里をいじめている男子児童たち。
人間は、村社会で生きてきた記憶があるので、自分たちとは違っている者を排除しようとするのは、遺伝子に組み込まれた自然な欲求らしいですが、そんな理屈は、いじめをする理由には成りません。
衣里を虐待している父親が衣里に言ったことは、「お前の脳は、豚の脳だ」と。そして、教師保利に言ったのは、「アイツは、怪物です」。
こんなことを日頃から言われていれば、そして虐待を受けていれば、自己肯定感が下がります。
衣里=怪物というモチーフが、この映画のタイトルの所以になっているように見えますが、前述の4者すべての心のなかに怪物が居ます。
衣里には、教養があります。自分が興味のある、とくに宇宙に関しては、独自の自説を持っています。ビッグバンから膨張しつづけている宇宙は、限界まで膨張すると今度は、収縮し始める。そのときに人間も動物も生まれ変わる、という論理を持ち、最後のシーンでは、台風の日に秘密基地のバスのなかで死んだ湊と衣里が、復活して草原を走るシーンで終わっています。
本当に二人は死んだのかは、はっきりとは描かれていません。
僕の感想としては、本当のことを全部ハッキリと、言うべき場面では言わないと、誰かを苦しめる、ということを改めて思いました。
親に、いじめられていることを打ち明けるなんて恥だ、とは思わないことです。
自分以外の誰かがいじめられている場合でも、せめて外部にそのことを正確に伝えましょう。
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