キリスト教非暴力主義に関して、考察する本だった。
非暴力主義とは、どんな場合でも暴力を使わない主義のこと。
そこで、究極の問いが生まれる。
貴方の母親、または妻、または子供が悪漢に襲われようとしているとき、
それでも、貴方は暴力で抵抗せずにいられるのか。また、いるべきなのか、という問い。
ガンジーなどは、戦争で相手を傷つけたり殺したりすることは反対だが、個人が一般的な場で暴力を受けた場合は、自分の身を守るために暴力を使ってもいいし、愛する人を守るために暴力を使ってもいい、という考え方らしい。
だが、この本では、どんな場面でも暴力を一切否定するという生き方をすべき、という論を展開している。
愛する人が襲われていても、神からの救けがあるかもしれない、ということ。
相手(悪漢)を説得する手段も残されている、ということ。
悪漢にも、家族はいるのだから、相手のことを大事にすべき、という考え方。
幾多の現実の例も挙げながら、論は展開されていった。
しかし、そうなれば、警察の存在意義はどうなるのか、などと思っていたら、警察力は認める、という考え方らしい。
結局、聖書の言葉キリストの山上の垂訓の言葉、「右の頬を打たれたら、左の頬を向けよ。悪人に手向かうな」という部分の解釈の仕方によるのだと思う。
イスラエル軍による爆撃は、今でも断続的につづいている。
キリストの言葉を、言葉通りに受けとるのは無理があるのではないか、と思う。
いずれにしても、聖書の解釈の問題だと思う。
この本の通りに生きられる人は、そうすればいいと思う。