『闇彦(やみひこ)』読了(追記あり)

 阿刀田高さんの、『闇彦』を読みました。


闇彦(新潮文庫)

闇彦(新潮文庫)

  • 作者: 阿刀田 高
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/10/10
  • メディア: Kindle版

 感想は、追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 私小説なのかノンフィクションなのかエッセイなのか、ジャンルを「これだ」とは言えない作

品。

 幼い頃、近所に居た語り部のお婆さんが「闇彦」という名を口にする。

 どういう意味だったのか理解できないまま、著者は大人になる。

 阿刀田氏は、ときどき「闇彦」について思いだし、誰彼となく訊いてみたりはするものの判然

とはしない。

 幼い内にお母様を亡くされ、お父様の転勤についていかれるのだが、その直後、ご自身が結核

に罹患しているのが判明。一年数ヶ月の病院での療養生活を送られる。

 療養の為、二年遅れて大学に進学。

 その頃から、「小説とは何の為にあるのか」とご自身のなかで疑問を持たれる。

 毛沢東の『文芸講話』から「革命に資するべきもの」という答え。いや、そうではない筈だ。

伊藤整の『芸術は何のためにあるか』から、「個々の真実を主張すること。道徳や常識に、とき

には法律に反してまでも、かけがえのない人間の真実を伝えること」という答え。図書館司書の

勉強を共にした多恵という女性から与謝野晶子の短歌(詩かな△)を紹介され「みんなが普通に

感動することを、本当に感動させるように、見事に表現するのが文学。(とんでもない事件とか、

道徳に反することばかりじゃなく)」【本文引用】という答え。そして沢山の読書での読むこと

自体への喜びから、ある朝、「ストーリー。面白いストーリーを創って読者を楽しませること」

も小説の大切な存在理由であるだろう。と悟られる。

 全編の骨組みになっているのは阿刀田高さんの半生である。

 高校での語り(一人でストーリーを創って語る話芸のようなもの)が得意な同級女性の思い出。

自分の一歩先を行く友人との語らい。療養所での生活。その相部屋の人達との社会の縮図のよう

な生活。図書館司書の学校での多恵という女性との邂逅。フランス語講座での西村夕海子という

女性との邂逅。講演の後、弥彦駅から神社へ、そして山頂での糸子という女性との邂逅。

 決して女性遍歴というような遊ぶタイプではない阿刀田さんだが、夕海子さんとは一時的に深

い仲となられる。その夕海子さんも事情を抱えてその後、儚い数奇な運命を辿るのだが、それぞ

れの女性と出会われては、きちんと手紙でお礼を書かれ、ときに思いだし、しかし、生活のなか

で記憶はだんだんと小さくなってゆかれる。さりげなく安否を気に掛けられる様子などからは著

者の優しさが感じられた。

 製薬会社の図書室に勤務されてから程なく新人賞をとって作家となられた。しかし、その当時

も、それより以前も半端でなく古典を読まれている。ギリシャ神話や海外文学や日本近代文学な

どだ。それが、いつでもストーリーを捻り出せる頭を創られることになったのだと思う。

 

 さて、「闇彦」の意味だが、阿刀田氏の幼い頃、双子で生まれた阿刀田氏の弟(本来は兄にな

るところだったのだが)が夭逝されている。その亡くなられた弟さんが、冥界から兄に信号を送

ってくることがあるだろう、と、幼い頃ご自身が預けられた姐や(多分叔母)の母親(婆や)に

何度か言われたことが、「闇彦」という存在が何なのかという疑問の始まりである。それを著者

は、人生のなかで何度か思いだしながら、最終的には古事記の記述に納まるのだが、これも著者

が後から創り出したストーリーと言えるのかも知れない。済みません。私には正確に闇彦が何で

あるのかは把握できませんでした。

 しかしながら、本編は「闇彦」という著者にとっての謎の存在への気がかりが、著者の半生の

なかに一本の線を与えていた。

 流石、短編の名手との異名をとる阿刀田氏。ご自身の人生をそのまま書かれても物語りに没頭

させる書き方、そしてスピード感と叙情を感じた。

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