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『枯木灘』読了(追記あり)

中上健次さんの、『枯木灘』を読みました。

枯木灘・覇王の七日―中上健次選集〈1〉 (小学館文庫)

枯木灘・覇王の七日―中上健次選集〈1〉 (小学館文庫)

  • 作者: 中上 健次
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1998/08
  • メディア: 文庫

読んだ本ではない全集のバナーを挙げました。(読んだのは文庫本です)

感想・レビューは追記で挙げますので、しばらくお待ちください。(長いし、読みづらかったので、一息つかせてください(^^))

では、また。

さて、感想です。

人間は生きている限り、色んなしがらみを抱えていくしかないのだなぁ、と思わせます。

ごめんなさい。これから先の記事では、本編ストーリーを殆ど語ってしまいます。ネタバレになりますが……。ストーリーを知ってしまっても、読みごたえが減じるような作品ではないですからご安心ください。

主人公・秋幸の実父が、甲斐性の有る男なんですが、性に関してはやりたい放題な生き方をします。

土地を買いたたいて利益を得ようとする時に、その利益とは無関係なのですが、他人の家に入っていって人の妻を強姦する。それによって出来た子が、主人公・秋幸なんです。(間違ってたらごめんなさい。本編が長いので正確な背景が再確認しにくくて…)

秋幸は冒された妻の本来の夫との間の子として育てられます。

母の竹原フサには、主人公の実父浜村龍造への意地があったのでしょう。

浜村龍造には、本妻が居て妾が居ます。そしてフサとも関係を持ちました。

そして、フサのほうには前夫との間に三人の子が居て、再婚相手の繁蔵との生活には繁蔵の連れ子が居ます。浜村龍造とフサの間に出来てしまった子が、秋幸。浜村龍造と本妻の間に三人の子。浜村龍造と愛人の間に一人の子。

これだけの子供がそれぞれ成長して、それぞれに思いを持って生きている。

フサの前夫の子らは、独立して離れているが、そんな子らが、フサの孫娘が結婚することになって、祝言のために顔を合わす。

【済みません。途中ですが、止めます。ちょっと、予定が有りまして…。この続きは、帰ってから、もしくは明日書きます。】

家族それぞれのじがらみ、業を思わされます。

フサの前夫との間の子、郁男(長兄)は、秋幸が幼い頃に、毎日のように畳に包丁を突き立てて、「お前ら二人とも殺してやる」と凄みます。郁男にしてみれば、母フサは、浜村龍造によって穢されている訳です。浜村龍造の血の入った弟、秋幸も同時に憎いのです。

しかし、結局、郁男は殺人を犯すのではなく、家の裏山の柿の木で首を縊って死んでしまいます。

フサの二番目の夫は、(前夫は病死です)竹原繁蔵。繁蔵は建設業をしています。繁蔵に家で育てられた秋幸は、大人になると繁蔵の下で働き、26歳の現在、土方仕事の一つの組を任されています。

つるはしで土を掘り起こす様子が、体験した者でしか書けない、汗と熱気が沸き立つ描写でした。

さらに、何故、一生懸命に肉体労働に邁進するのか。それは、自分が浜村龍造の子で、性に無頓着な獣の血を受け継いでいると常々思っているから、その気持ちを浄化させる為に働いているのです。

浜村龍造は、フサとは一緒になれず、別の土地に生きています。その龍造との再会。材木屋をやっている俺のところに来ないか、という龍造の秋幸に対する誘い。

龍造は、土地を買い占め、それを転売することで成り上がってきた男。目論んでいる建物を建てるのに邪魔な家には立ち退きを迫り、それでも家が残ると付け火をするといった悪事を重ねてきて成功した男です。しかし、彼自身の口から秋幸に対して、それを認める発言はついに得られませんでした。

自己を記念する為、後世に足跡を遺す為、さらには自己の栄誉心から、浜村龍造は枯木灘という土地に、浜村孫一の碑を建てます。浜村孫一とは、戦国時代の武将で、織田信長(家康だったかも)に抗い、昔からの土地を護る為に玉砕覚悟で戦い戦死した男です。敗走するとき、和歌山の山中に逃げ込み、片目になり片足を引きずりながら命からがら枯木灘に辿りつく。そこでついに息絶えた。その浜村孫一と浜村龍造は血縁で繋がっている(孫一が先祖であった)という保証はどこにもない訳だけれども、こじつけてでも碑を建ててしまう。

そういうやり手で悪い男の龍造を、秋幸は心から赦すことができない。

妾の娘にも手をかけてしまったと噂のある浜村龍造。秋幸は、どうせ俺の血は穢れているんだという思いから、自分の異母兄妹の売春婦をしていたさと子とも知っていながら関係を持ってしまう。

最後は、龍造の正式の子の秀雄と口論になり、祭りの夜、「自分の父親を悪く言うな」と、石を持って殴りかかってきた秀雄を秋幸は反対に殺してしまう。その秀雄と口論になっている姿が、秀雄が、幼いときの自分であり、今の自分は自殺する前の郁男のように感じる、と主人公自ら文中で語っています。

親族の永い歴史であり、昔あったことと同じような事が何代か先にも起こる、というのは神話的構造です。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』も、同じ範疇に入ります。

ストーリーを殆ど語ってしまって申し訳ありません。

文体は、悪文と言われる適切ではない日本語も頻出してきて、三人称で書かれて主語はその度その度に出てきますが、主語が変わるのが目まぐるしく読みにくい作品でした。

しかし、その文体が、何故か読み進み後半にもなってくると、荒々しい路地の人達の気性や生きるための徒労のような仕事を表すにはぴったりくる文章に感じました。

『枯木灘』本編のような内容は、普通にある生活とは言えないかも知れませんが、生活そのものを忠実に描写すると、その期間が長いと、うーん、と呻ってしまう文学になりえるなぁ、と感じました。

感想としては、生きるのは、生きていくのは、大変だなあ、と思いました。どんな人にも色んな事が起こるし、しがらみを持ちながらでも人間は生きていくしかない、と感じさせられます。

・中上健次の他の作品の感想→  『岬』

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