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『第一回、東京家出の記』ーーー2

 僕は、いつものように、その日の朝、会社に向かった。

 しかし、途中で、やっぱり前日まで考えていた家出が頭をもたげた。

 もう少しで会社というところで、僕は車をUターンさせ、家出の道筋に入った。

 隣りの市まで走ったとき、或る考えが頭をよぎった。

 車で家出は不利だ、と。

 車で出ると、後々、車の駐車スペースが要ることになる。

 そして、当時乗っていた車は個人売買で買った中古車で、未だ支払いが終わっていなかった。転売も、当然できないことになる。

 僕は、一旦、家に戻り、中型の単車(カワサキKR)に乗り換えた。

 そして、同時にバック(メーカー名)のトランペットを荷台に積み、出発した。

 カワサキKRは、父が死んでその保険の一部で親に買ってもらった単車だった筈だが、当時父は生きていたので、僕の記憶が違っていたのだろう。父は生きているどころか、自身が事故を起こし、頭部に損傷を受け、足も不自由になって家に帰ってきているところだった。

 失業保険の一時金でそれを頭金にして、僕は当時中古の1600㏄の車を知人から買ったところだった。当時の僕は、1200㏄の車を持ち、さらに1600㏄の車を買って、1200㏄の車は下の弟に譲り、さらに、中型の単車を親の保険金で買ってもらっていた。自分から望んだ訳ではないが、相当な贅沢をしていたと思う。バックのトランペットも親に買ってもらっていた。しかし、毎月四万か六万は実家に生活費として入れていたと思う。そういう、我が家にとって景気のいい時代だった。

 肩提げバッグの中に聖書を入れ、ドラムのスティックを詰めた。下着や着替えの服は持たなかった。

 肩にバッグを提げ、荷台にトランペットを積んで、僕は単車を走らせた。

 僕は、中国自動車道、滝野社インターチェンジから高速に乗った。それまでの途中で、一年下の親友I君が勤務している会社の前を通り、I君と目が合ったのだが、「俺、今から家出するんだ」などと言えるはずもなく、一心に東京を目指した。

 途中で、弟に電話を入れた。

 弟は盆休みが長かったのだろう。実家に未だ居たのだ。ケイタイがなかった時代だからそういう事だろう。

「俺、ちょっと遠出するから」

「遠出って、どこ行くのよ。兄ちゃん」

 と、弟は訊いた。

「未だ、それは決めてない」

 と言って、俺は電話を切った。

 この時点で、滋賀辺りまで出ていたと思う。

 しかし、連続で東京まで出るのは簡単ではなかった。

 いくらスピードが出るバイクと言えども、長時間の運転は極端に疲れる。

 日の光が無くなりかけた頃、俺は、名古屋のインターチェンジで下道に降りた。

 鉄工所の仕事の前月の給料と、寸志と、失業保険の一時金の車の頭金を支払った残りを持っていた。それは、18万ほどの金額だった。記憶が確かではないが、多分そうだっただろう。

 俺は、名古屋のビジネスホテルに泊まった。

 見知らぬ人が、「いいバイクに乗ってるね。旅行かい?」と言っていた。

 絶対にもう、成功するまでは田舎になんか帰らないぞ、と、その時の僕は思っていた。

 狭い窓もない部屋だった。

 淋しすぎる部屋だった。

 俺は、自分の力でこれから生きていくんだ、納得のいく生き方をする為には、侘びしさなどは辛抱するんだ、俺は自分にそう言い聞かせて寝た。

【主語の表記、俺、僕、と替わり混用になっていますがご容赦ください】

*次話は、こちら→  『第一回、東京家出の記』3

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コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >haruさん
    僕よりも年上の方の訪問は初めてです。恐縮します。(プロフィールを拝見しました)
    ご自分の子供たちに、父の文章を残したい、伝えたい、と純な気持ちで思われていることが、こちらの胸にも切々と伝わります。
    どうか、その思いを遂げてください。
    また、一度ご訪問します。(^。^)
    では。

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