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読書量

  今日、或る人に言われたんです。
「文学賞、ぽっと出で、獲ってしまう人も居るだろうけど、車谷長吉さんなんか苦労してるで。恐らく、君の百倍は、本を読んどってのとちゃうか?」

 この人、何の為に会話したいのでしょうか?

 からかいたい、相手のぎくっとする顔が見たいのか。
 それとも、叱咤激励して奮闘させたいのか。

 僕、今で、410冊、本を読んで居ます。
 410冊なんて、大した量ではありません。
 僕は、若い頃、全然本を読まなかったので、この直近五、六年で410冊を読んでいるのです。
 もし、この人が言うように、車谷さんが、僕の百倍の読書量だったら、4万1千冊を読んでいることになります。
 4万冊という量は、人が、読書だけでいい(赦された)生活で生きたとしても、読める量ではありません。
 10倍だったら、その通りだと認めますよ。
 人をからかう為に、100倍だ等と言わないでもらいたい。
 しかし、十倍でも、4000冊ですよ。
 毎日、図書館で出会うけど、全然座ってじっくり本を読んでいないなぁ、と思ったのでしょう。
 何故、隠れているところを推測しようとしないのか。
 僕は、毎日、夜中の執筆が終わった二時から本を読んでいます。
 昼は気分転換の意味と、興味が湧く本を探す為と、新聞を読む為に図書館に行っているのです。その新聞でさえ、雑音があったら、断念して読まずに帰りがけにコンビニで買います。
 図書館ぐらいのざわつきでも、僕には集中できないからです。
 保坂和志さんが、ご著書の中で仰有っていました。「40歳を過ぎると、雑音があったら、書けなくなった」と。僕も書く場合そうです。そして、僕の場合は読む場合も雑音があったら、読めません。普通は、雑音を意味のない音として捉える機能が働くのでしょうが、僕にはできません。
 だから、僕は、図書館は、そこで集中して本を読む場所ではないと考えています。
 仮に、地声くらいの大きさで傍で会話されていても本が読めるというなら、それは、筋書きを読んでいるだけなのではないか、と、僕は思います。
 子供が騒いだり、学生が地声でやりとりしてる所で、文体を味わいながら読めるのが理解できない。
 こいつ、本を借りもしないなぁ、と心の中で決めつけるのも止めてもらいたい。
 地元の図書館だと、5冊しか借りられない。その地元の図書館にも、借りたり返したりしています。隣の市、その隣の市と、7軒の図書館で、随時それぞれ10冊を借りています。(読むのは、非常に遅いので自慢できませんが)
 僕の知り合いで読書好きの人、それも八十代まで生きた人で、2000冊台です。
 司馬遼太郎さんが、読むのが速いことで有名でしたが、彼の読書の場合、参考文献にする書物も含まれていて、読破・読了というほどには、参考文献は読んでいない筈です。

 もの凄く読書家の人で、4千冊が死ぬまでの限度でしょう。
 千冊読んでる人でも凄いです。

 分かったような事を言って、人をからかうのはやめてもらいたい。

 第一、僕と、文学談義をするのだったら、自身が書いてからにしてもらいたい。

 人を凹ませておいて、そちらは楽しいか知れないが、こちらは、五日ほど順調に書けなくなるのである。

 何で、貴方の為に、こちらがダメージを受けなくてはいけないのか。

 

 

コメント

  1. 新宿トモ より:

     実際に書くのと、言うだけって違いますよね
     言うだけでアドバイスしているつもりの人って、ある意味幸せだなあって思います
     求めていないのに、アドバイスができるぐらい自信があるのなら、自分で書いて賞を獲れば?って感じますよね
     本をたくさん読む人が、いい作品を書けるのというのなら、その人はそのスタンスでやればいいだけの話だし……
     人にはそれぞれのスタンスがあり、それでいいと思います
     だから天上天下唯我独尊って言葉があるんですよね^^

  2. 山雨 乃兎 より:

    >新宿トモさん
    からかえる隙があれば、からかってやろうというタイプの人がいます。
    大切なのは、こちらのペースを乱されないように距離をとることですね。

  3. 山雨 乃兎 より:

    >yannさん
    ナイスを有り難うございます。

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