先日観た映画について
柳生十兵衛を題材にしたフィクションのドラマか映画を観たが、最後が衝撃だった。
家光に忠義を尽くすことのみで、自身の良心を納得させてきた大目付のまえに、十兵衛から家光の生首がとどけられるのである。
大目付の発狂。
「おのおの方、お騒ぎなするな! これは、夢でござる!」
と、自身は右手を十兵衛に切断されて、残った左腕で上様の生首を抱きながら叫ぶのである。
大目付としては、先代の将軍から任された徳川家を護るという事が、一番の肝心ごと。 ナンバー2が亡くなったとしても、何とか家臣を落ちつかせ、城内の平静をとりもって、新しい策を練り、士気を高めることはできる。
が、しかし、上様の生首をわたされたのである。
これは最早、どうとり繕うこともできない。
正に、一瞬にしての人格の破綻である。
正に、発狂だ。
R指定程度のインパクトではない。
視ている方は、大目付に感情移入して、ここまで物語についてきたから、我が事のように辛辣な気分になる。
脚本家は、剣豪宮本武蔵の成長物語のように、柳生十兵衛を描きたかったということが伺える。
武家の勢力が強く、未だ戦国時代を少し引きずっていた時代の、終わりのない、攻撃とそれを上回りつづける度を超した報復合戦のなかで、人は規範をどこに据えればよいのか分からなくなっていた。
あの物語の終わりは、一身上の恨みを刀で返す柳生十兵衛がスカッとやってくれた、と視聴者にカタルシスをもたらすものだが、私にとっては、まったく反対の感想になってしまった。
何と、むごいのか。
さて、貴方は、どうだろう。
誰に感情移入するかによって、物語のテーマの中心は、大きく変わってしまう。
しかし、久しぶりに前代未聞の名作を視たと思えた。
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