私の場合は、頭痛が常にあって、少しでもうるさい環境に居ると、すぐイライラするのですが、
他の人の場合にも、現代人は、音に、もの凄く敏感になっているような気がする。
現代人が音に敏感になっていることは、或る本にも書かれていた。
思いだしてみるに、高度経済成長の頃だと、車は頻繁にクラクションを鳴らしていた。
でも、そんなに腹は立たなかった。
この原因の一端には、クラクションの音質が変化したこともあるとは思う。
今の車ほど、耳に付く警告的な音ではなかった。当時の車のクラクションは。
車がここに居ますよ、ということを知らせる意味でのクラクションだから、もっと柔らかい音に戻ってもいいのではないだろうか、と思う。
テレビCMがうるさく感じるのは、明らかにサブリミナル効果を狙って音を重ねすぎだからだろう。
外国のテレビ放送のテレビCMを観ても、そんなにうるさく感じることはない。
音に敏感すぎることが、現代の音楽業界の衰退を招いている要因のひとつでもあるような気もする。
小説『ヒデブー』でも書かれていたことだが、窓を開け放っておくぐらいの生活のほうが気分的にゆったりしているのではないだろうか。
個室にこもって外界の音を完全に遮断する。
そういう生活が当たり前になっていると、少しの物音がこたえる体質になってしまう。
他人のことは言えるが、自分の場合は、やはり頭痛があるので音が極端に堪える。
それが、この季節になるとだいぶん益しになる。
梅雨が近いから雨降りが多いから、湿度が上がっているから頭痛が益しになっているからだ。
音に敏感でなくなると、道路で空ぶかししているバイクにも、そんなに腹が立たなくなる。
彼らにしても、自己アピールしたいのだろうし、そういうストレス発散が出来るなら、それで犯罪までには行かずにスッキリするなら、丁度いいことかも知れない。
相対的に言えることは、自分が音を発信しているときは、かなり大きな音でも大きく感じない。
ドラムでも、間近で聴かされるとかなりきついが、自分が思いっきり演奏していると、かなり大きな音でも堪えない。
この問題は、隣人同士のつき合いが減った現代の状況に、根本的な根があるような気がする。
ちょっとした冗談でも言い合えるような隣人関係があれば、そんなに音に敏感にはならなくて済むのだと思う。