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曽野綾子著『人間関係』読了(追記あり)

 曽野綾子さんの、『人間関係』を読みました。
人間関係 (新潮新書)

人間関係 (新潮新書)

  • 作者: 曽野 綾子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/04/01
  • メディア: 単行本
  例によって、感想は、追記をお待ちください。
   追記・感想
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 付箋を追う

 ざっと付箋を追って、内容紹介を致します。

 障害者の仕事について

 障害がある人が、全く身体に障害を持たない人と同じ職業に就かせろ、と平等を要求するのは、むしろその人のためにならない、と曽野さんは思ってらっしゃいます。
 曽野さんは、若い頃から極度の近視で、人の顔を詳細にみることも出来なかったらしい。 だから、医院の受け付けの仕事はできない、と。
 曽野さんが小説家を志した時代は、作家は、食える保証もなく、心情的にもマトモな生活者が成るものではない、と思われていた。
 差別はあってもいい、という考え方。なぜなのかについては、本編に譲ります。

 ニュースに敏感である必要はない

 一市民は、ニュースに敏感で理解していなくてはならないということはない。わからないことは考えなくていい。

 緊急事態には、規制に従わなくていい。自分の身の安全を第一に。

 東日本大震災の際、津波警報が出ていたので車で高地に避難しようとしている家族の車に、年寄りの歩行者が目に入った。遠い距離を歩けないので乗せてくれと頼まれて、乗せようとすると、一人分、定員オーバーになった。それで、運転手の奥さんが、私は歩けるから、と車から降りたのだが、その後津波に呑まれて還らぬ人となってしまった。
 別に、押し込んで定員超えでも乗れるなら、全員乗車すればよかったのである。外国によく行かれる曽野さんは、自分の身を優先するがめつさも大事だと考える。

 曽野さんが小説を書かれる経緯

 穏やかな両親の元でのびのびと育つという子供時代ではなかった曽野さん。自然に、人間の心の伝達は、ほとんど不可能に近いことだから、やはり小説を書こうと思ったのかも知れない、と述懐される。

 利害関係しか論じない幼稚さ

 利害関係しか論じない幼稚さ、の項では、政治家に対して団体が善意で個人的なプレゼントをされることは自然なことだと仰有る。たしかに、その通りだと思った。大きな金の動きではないし、この例の場合、博多座の株主の九州電力が、株主の配当として観劇券を受けとっていたとして、それを興味を示す政治家に贈っても常識の範囲だろう、ということだ。売った訳ではない。
 一切の好意の授受、金品の移動、饗応などを禁じれば世の中はよくなるかというと、そうでもない。むしろそういう社会では、人の心がどんどん痩せ細っていくケースが最近ではよく見られるのである。【本分引用】

 なぜ、日本の子供は無垢でいられるか

 日本では、子供は一応食べるものと着るものを与えられ、精神的飢餓が完全に満たされることはないにしても、責任のある大人の庇護の元に置かれる。全く野放しの野犬のような子供たちがいるという厳しい前提を考えないからなのである。【本分引用】←なぜ、日本の子供は無垢でいられるか。
 ここでも深い考察があった。詳細は本編に譲る。

 政治家の資金集めパーティーの常識

 政治家の資金集めパーティーは、「ご招待」とあっても手ぶらでいかないのが常識。最低でも二万は包むべき、だそう。奢ってもらったことを自慢するようではいけない。たとえ十万包んで行っても、その場で普段は会えないようなステータスの人に会えて、場合によっては繋がれる。

 友情の長続きのコツ

 友情の長続きのコツは、高額なものを贈り合わない。友情の範囲は、食まで、ということを世間ははっきりと自覚していない。そして、「食まで」は、非常に有効。【一部本分引用】
 この点は、今の私は、うっすらと分かる。高額なものを贈ったり贈られたりしていたら、ちょっとややこしいことになるかな。これが、上位者から下へは有ってもよいと思うが。

 二種類の生き方

 組織の力を借り、組織で護られるのもある生き方、と、まったく組織の力を借りず、自分の労働だけで生きていくという生き方。曽野さんの場合は、後者らしい。また、そうありたいと思う曽野さんの心中については、是非本編を。

 近隣との付き合い

 都会は、普段は、隣の生活サイクルなどに関してはまったく無関心だが、非常事態になったときは見知らぬ他人同士でも声を掛け合うらしい。
 このことに関して、曽野さんは、自宅に強盗が入った事件の顛末を語る。

 遺産相続のあるべき姿

 遺産相続に関しての曽野さんの忠告。
 誰が親を実質的に面倒を看たか、ということを把握して、その人だけが遺産の総額を受けとるべき、と仰有る。
「リア王」を例に、誰が親への誠実さが強いか、などを見抜けずの悲劇だったが、これは、現代の親子にもあることだと。長男の嫁は鬼嫁で、次男の嫁はよい人だと思い込む親の心理の、簡単なからくり。詳しくは本編を。

 面倒見のいい、いい人には、特有の心理構造がある

 相手の非を責めるかどうか。特異な例として、きわめて寛大だと思われていて、誰がどんな失敗をしても、鋭く咎めたりしない、他人がしでかした間違いの尻ぬぐいは、さっさと自分でしてしまう、という人が居た。「お優しいんですね」と曽野さんが訊くと、「いや、僕は冷たいんですよ」と返された。どういう心理なのかは、是非本編でご確認を!(すなわち、相手に期待しないこと)
 外国の現地の人は、なぜ道を聞くとデタラメを教えるのか。教える人が知ってない場合、正しくても正しくなくても答えるということが他者への親切の第一歩、と考えているかららしい。
 キリスト教信者としての、目から鱗が落ちる「コリント信徒への手紙1 13章」。
 年寄り同士、病気の話をするのはやめましょう、と。自分の苦痛は、他人には分かってもらえない。

 感想

 全体の感想としては、曽野さん、団体の仕事でよく外国に行かれるから、外国人の心の感覚、考え方、価値観を目の当たりにされたのだろうと思う。
 他国同士が陸で繋がっている国などの心の感覚と、日本人の感覚は大きく違うということを再認識させられた。
 それに、長い年月を生きてこられて、日本の世風の変化なども経験されているので、私が昔からそうだろうと思っているような価値観も、じつは変化してきたのだということを知らされたのが勉強になった。
*曽野綾子さんの他の本の感想は、こちら→  『人間の基本』

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