近代文学(この作者の場合は、少し前に亡くなった現代文学の作家の範疇か。それも含めて)を殆ど読んでなかったのですが(古本が痒いこともあって)、図書館で借りてきて、
源氏鶏太(げんじ けいた)さんの、短編集を読みました。
読んだのは、上記バナーの本ではなく、未知谷(出版社)の昭和の短篇一人一冊集成です。
完全に嵌ってしまいました。
例によって、感想は追記で挙げますので、しばらくお待ちくださいね。
追記・感想
源氏鶏太が面白い。
こういう言い方は勿論絶対に現実の場面ではしないが、僕の内心だけをそのまま言葉で表してみるとすれば、なかなかやるやないか小父さん、という気分である。(賛辞です。失礼を重々承知の上の表現方法なのでご容赦を)
全作品、気骨があって爽やか。
丸山健二さんが仰有っていたことだが、戦争を体験している世代の作家は、どんなセンチメンタルな物を書いていてもぼんやりしていては食うていく事も出来ないという覚悟があり、作品にも気概が滲み出ていた。
源氏さんの作品を読んでみて、同じ事を感じる。
作品群の中の一作には時代設定が明かしてある物もあり、昭和36~38年と確か本文中に出てきた。僕の生まれた頃である。
『たばこ娘』は、純情な娘(決して美しくはないのだが)のけなげさをいじらしく思う男心。
『英語屋さん』は、会社システムの不条理と男のプライドと男気。
『御先代様』は、大会社の二世社長という自分では変えられない運命。嫉妬。世の罠。会社経営の難しさ。
『精力絶倫物語』では、敢えて持って生まれた特質を現実にはありそうもない極端なものに設定する事により、人間の全体としての、複合体としての心と、その心の通りには生きられない性(さが)を衝突させる。
『流氷』では、男の内面に抱えた嫉妬心ゆえの葛藤。恋仇の死をも内心では望んでしまう自分への侮蔑。
『花のサラリーマン』は、やはり、昭和の高度成長期の大会社内での出世とそれに絡む諸々を描いていた。
『印度更紗』は、感情移入すると相当きつい。
ここでも複数テーマは有ると思うが、特に、自分の死期が近づいたのを悟った時に、自分の子孫を創っておくべきだった、という後悔。しかも、その頃になってから、その事を知るという悲劇である。
聖書の箴言にも同じ事が書かれている。
貧乏な人生は辛いが、この世で成功してお金持ちになった人には、往々にして自分の子が無かったりして貯えた財産を安心して預ける相手がなくて虚しい思いをする。それも又、辛い事だ、という内容だ。
主人公が冒険旅行を繰り返し、その事によって学術本を何冊も刊行した人生は、大いに意味があった。
先代の貯えた財産によって、全く労働をせず、存分に研究と旅行に明け暮れたのだが、実は家を留守にしている間に間違いがあったのである。
このお話しは、大江健三郎さんの『万延元年のフットボール』にもシナリオとして重なる処がある。
この作品だけが重たく、やり切れない読後感だった。
巻末の著者の写真は煙草にパイプフィルターを付けてそれをふかした後、微笑む、椅子に座った写真である。
おそらくは会社のユニホームであろう半袖のシャツを着て、涼んでおられる。
長年の会社勤めで培われた気骨と快活さが滲み出ていた。
生きておられる内に、一度お会いしたかった。
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