『師を持てば人生の問題の大半は解決したようなものだ』読了(追記あり)

 潮編集部編の、『師を持てば人生の問題の大半は解決したようなものだ』を読みました。


師を持てば人生の問題の大半は解決したようなものだ

師を持てば人生の問題の大半は解決したようなものだ

  • 出版社/メーカー: 潮出版社
  • 発売日: 2011/04/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 例によって、感想は追記をお待ちください。

 

   追記・感想

 

 各分野のトップランナーたちが、自分の師と思える人を紹介する形のエッセイ集。

 現代というのは、未曾有の先の見えない世界になっている。と前書きにあたる文章で茂

木健一郎さんが仰有います。

 しかし、先の見えない、先がどうなるか分からない時代こそ人間が大きく進歩できると

きだ。とも仰有います。人間だけが、周りからプレッシャーを受けたときもフリージング

せずにそれを克服できる。そのことによって人類は他の動物にない功績を残してきたのだ。

と。

 インターネットが教える情報だけに頼るのではなく、自分の師と言える人を持とう。そ

れは別に有名人でなくてもよい。そして、その師に食らいついて学んでいこう。と仰有る。

 

 今の私があるのは、あの人のお陰だ、と思える師のことを、それぞれのトップランナー

たちが語ります。

 

 人前で、自分の悪癖を叱ってくれる人物こそ味方なのだ。という見解の人。

 また、反対に、「師は、褒め上手だった」と言って、褒められて師のペースに乗せられ

たから自分の実力以上の力が本番で出せたのだ。と仰有る人。

 これは、もう、どちらが正しいとも言えませんね。

 

 人間というのは、高いレベルまで到達するのには、師から教わることを抜きにしてはあ

りえませんね。また、師から教わるのは、その分野の技術だけではなく、人間性・倫理観

といったものもあります。師に教わるから遠回りせずに或る程度のレベルまで早く到達で

きる、ということもあります。

 

 自分の師といえる人が、必ずしも自分の仕事上の師であるとは限りません。

 人生の節目で、的確なアドバイスをくれた人。この人にならついて行きたいと思えた人

も、また師なのです。

 

 師の言われるとおりに練習をしてきて、最初は師の言うことが、ホントかな、と疑いな

がらも、最終的に結果が出たときに、「ああ、この人についてきてよかった」という感想

とともに嬉しさがこみ上げてくるのです。

 人生という迷妄の森のなかで、水先案内人になってくれる人、それで真っ先に思い浮

かぶのは自分の父親、だけど、その父親よりも的確な助言をくれる人が、他人のなかに

居るのです。

 お世話にならない手はありませんね。

 この世のなかで、師弟愛ほど美しいものはありませんね。

 弟子が師を超えるようになれば、師弟の意味はないとも言えますが、さらにそれを超え

て、自分が立派になった後にも、心の師として仰ぎ見る人物がいるのです。

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コメント

  1. 山雨 乃兎 より:

    >ビター・スイートさん
    ナイスを有り難うございます。(^。^)

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