伊集院静さんの、『乳房』を読みました。
例によって、感想は追記で挙げますので、しばらくお待ちください。
追記・感想
『くらげ』『乳房』『残塁』『桃の宵橋』『クレープ』という短篇を編んだ本。
『乳房』では、奥さんの為に仕事を辞めてまで介護されるご自身の姿が投影されています。
そういえば、伊集院さん、奥さん(夏目雅子さん)を亡くされたのだった、と回想しました。
『残塁』で描かれる野球部の実態。
昔は、大学に限らず、きついシゴキが、部活にはあったのでした。
そう思って読んでいると、ご自身の体験の投影というのが沢山ある小説なんだろうなぁ、と思いました。私小説ではないにしても、ご自身の活きた体験を導入されているようです。
『くらげ』では、弟を海の遭難事故でなくす、というストーリーが出てきます。これも、現実に体験なさったことなのではないかと思ってしまいました。
そうすると、伊集院さんは、相当沢山のものを背負っていらっしゃるのだなぁ、と思い、作家というのは多かれ少なかれ核になる辛い体験を通っている人が多いという他の作家の言葉も思いだされました。
『乳房』のなかに描かれるのは、病身の妻のことを思いながらも男としての性の業を負わねば生きていけないという自戒と諦めを感じました。
これからこそ、もっと貴方に抱かれたかったのに、私は、こんなにも痩せてしまったのよ、という内心を込めて、病床から夫の手をとり自分の乳房にあてがう。
ああ、俺が、こんな世界(作中では映画の裏方の仕事)に引きずりこまなければ、妻は元気なままだったかも知れない、という自責。
『残塁』のなかで描かれるのは、大学同級生に対する嫉妬。
嫉妬していたことにすら、何十年後の再会のときまで気づかなかったという滑稽さ。
きついシゴキに耐える友人を励ましながら、こいつをもっと苛めてみたいと感じる上級生の気持ちも分かる。作中人物が男色であるかは、どの作品でも曖昧にされてはいますが、それを抜きにしても、同性の男からみてもいじらしいと感じる持って生まれた睫毛の長さや中性的な可愛らしさがある男に対しては、そんな感情も抱くのも肯ける。
『桃の宵橋』では、売春の郭(青線)を経営してでもでないときれい事では生きられなかった時代背景が浮かび上がります。
『クレープ』では、離婚後十数年経って、実の娘に会う主人公の緊張や、自分が娘のことをその誕生日さえ憶えていないことからのおり場のない気持ち。現在同棲している相手への気遣い。また、娘二人が成人するまでは養育費を捻出しつづけなければならない現実の重さ、なども思い知らされます。
淡々と、しかし切々と、胸に訴えかけてくる人間が生きること自体の矛盾。
その文体の味も加味されるからこそ、胸に響くのだと思いました。
あとがきを読むと、一冊の本を仕上げるのは大変だなぁ、とも思いました。
余談ですが、賭け事という意味じゃなくて、伊集院さんは、競馬そのものが好きなんだなぁ、と、今まで読んだ作品も思い返したりして思いました。
・伊集院静の他の本→ 『作家の愛したホテル』 『無頼のススメ』 『岬へ』
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