これもお送りしますね。
メールマガジン・バックナンバー14
『文字を書いて、心を癒そう!』(第十八弾、聖書を写すという行為)
※この記事は 2008/08/20 に配送されたメールマガジンです。
皆さん、こんばんはー。
山雨乃兎です。
今日は、聖書を写す意義について、お話ししたいと思います。
僕は、佛教の写経に関しては、どう意義があるのかは分かりません。
ただ、元キリスト教の信者で、今では、どこの団体にも通っていませんが、
信条はキリスト者なので、聖書の言葉のエネルギーが有ることについては疑い
を持ちません。
宗教の勧誘などでは決してないので、皆さんも、読み進めていただきたいの
ですが、聖書は、神が人間に語りかけられている言葉が書いてあります。
聖書のどの箇所をとっても、その言葉はエネルギーを内包しています。
写経のときと同様に、聖書を写すときには、できるだけ綺麗な字を書くよう
に心がけて、一字一句、ノートに写してみてください。
特に、旧約聖書の『詩篇(しへん)』『箴言(しんげん)』は、お薦めです。
聖書は、預言と、歌(賛美)と、歴史とが書かれています。
『詩篇』は、数人の読み手が、それぞれに、神に縋ったり、神を賛美したり
した歌が収められています。
敵(一神教ですので、他神を拝む人々)を滅びさせてください、という祈り
も込められていますが、現代の我々が読むときに、読者が神のサイドとして慰
撫、叱咤激励されます。そういう風に読めるように書かれています。
亡き妻と、一度、聖書について語り合ったことがありました。
僕も妻も、聖書には、その文字を食べているような感覚があるという意見で
一致しました。
必ず、エネルギーを受けます。
そして、それは、神が方向性を決められるので、たとえ間違った願いがあっ
ても、神が善しとすることしか実現して行きません。
聖書は不思議な書物です。
過去に書かれたものなのに、現代に通用します。
『詩篇』を、毎日、少しずつ書き写してみてください。
貴方に、不思議な僥倖が訪れます。
これは、私が保障するのではなく、聖書の力がそうさせるのです。
写すときにお薦めするのは、日本聖書協会が訳した聖書です。少し古い文体
ですが、力を感じます。
聖書を理屈として分かりたい人は、いのちの言葉社の、注解、索引、チェー
ン引照つきの聖書をお薦めします。(この聖書、凄く分かりやすいです。誰と
誰が聖書の歴史のなかではどう関係しているか、とか、専門用語の意味も判り
ます)
以上、今日は、聖書を写すことについて、でした。
では、また次号でお会いしましょう。(^。^)
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